オバサンっぽい人

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昼すぎ、ぼくは事務机で弁当を食べていた。そばに某フリーペーパーがあったので、なにげなく眺めていたら、次のような見出しが目にとまった。
  「オバサンっぽい人、それは自分について考えなくなった人」
それは槇村さとるという女の人が書いた記事であった。
ふーん、女の目から見たオバサンの定義、ね。
ぼくは興味を持って読み始めた。以下、その冒頭を引用
 オバサンっぽい人を定義してみると、「大人でもオンナでもない人」「思考が停止している人」、そして「自分について考えることをやめてしまった人」。自分のことを考えないって、根本的な問題ですよね。どうでもいいやって、簡単にあきらめちゃった人だと思う・・・
へ~、なるほど、ふむふむふむ。
ぼくは弁当を食べつつ、不二家のペコちゃん人形のようにペコペコうなずいた。ぼくはオトコなので、オトコの視点から「オバサンっぽい人」を定義したくなるが、それを書くと問題がありそうなので書かない。書きたいことは1ダースほどあるけれど。
というわけで、「オバサンっぽい人」に対抗すべく「オジサンっぽい人」を次に定義してみようと思う。
「大人でもオトコでもない人」「思考が停止している人」、そして「自分について考えることをやめてしまった人」
あれ?

ナニか来た

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昼前、空を見上げて、いやーな感じがした。
ぼくは妖怪ではないけど、たまに妖怪アンテナみたいなのがピンと立つ。なにかマズイものが近づいている。
黄砂と一緒に何か来る。
イヤな感じだ。いつもと何かが違う。
黄砂が来た。予想通りだ。
わるい予感。今夜は早く寝るべ
オヤスミー

愛は惜しみなく与う

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きのうは早咲きの桜を見ようと思ってフラワーパークに行った。でもそこで目を引いたのは太陽の光を浴びて輝くアカシアの花だった。アカシアは、その持ちうる精気を惜しみなくぼくに振り注いだ。そのひたむきさにぼくは打たれた。ぼくは与える側になく、与えられる側にあることに気づいた。

空気に溶けた一日

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風邪をひいて二週間が経っていた。
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ぼくは冬眠から覚めたムーミンのような気分で南に向かっていた。風邪のウィルスはぼくの脳ミソをムーミンにしてしまったのだ。
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そんなわけで、今日のぼくの目に映る世界はムーミンの世界だった。なにもかもがメルヘンな色を帯びて光っている。
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黄色い花、ピンクの花、白い花。どれも輪郭が空気ににじんでボケている。そしてぼくの脳ミソはいつの間にか黄色やピンクや白の空気に溶けて消えてしまった。
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☆トマトなんとかスパ  おいしいでした。
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☆テリ丼  これもウマかった。

今から数奇な人生を送るかもしれないオレ

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「年をとるごとに若返っていくぼくをどう思う?」
今、そんな数奇な人生を送った男の映画が上映されている。
  ベンジャミン・バトン 数奇な人生
そして、もしかするとぼくもそんな男の一人なのかもしれなかった。
それは昨日の午後のことだった。カウンターでコーヒーを飲んでいた二人の美女がこんな会話を交わした。
美女A 「ずいぶん背が高いけど、どれくらいあるんですか?」
美女B 「172センチ」
美女A 「へぇ~~」
ぼく 「ねーねー、ぼくはどれくらいに見える?」
美女B 「170センチ」
ぼく 「な、なんちな! ぼくはあなたより低いってこと?」
美女B 「あら、ちがうの?」
というわけで、ぼくと美女Bは背中合わせになり、美女Aに見てもらった。
美女A 「同じくらいだね」
ぼく 「げっ!」
ぼくはガクゼンとした。ぼくの身長は177cmのはずなのだ。
ぼく 「ま、まさか縮んだってこと?」
美女A,B「そうかも」
ぼくはどうしても腑に落ちず、家に帰って計ってみた。すると174.5cmであった。25mm縮んでいる。ショックであった。たぶん運動不足のせいで体がネジ曲がってしまったに違いない、明日からマジメにストレッチしなくては。いや違う、ぼくは子供へと若返りはじめているのだ。そうだ、きっとそうだ。

美女と野犬

いつものように店に向かって車を走らせていた。すばらしい天気だ。土曜の朝は道路もすいていて広く感じる。風景だって平日とは少しずつ違う。道端の木々、走っている車の色、歩道を歩いている人の服装。すべてが明るく輝いてみえる。犬を散歩させている人がいる。ファッション雑誌から抜け出したような、高級な衣装をまとった隙のない美女。犬は・・・薄汚れた野良犬。なぜ? 彼女はシッポの垂れ下がった目つきの悪い野良犬を散歩させている。奇妙だ。朝から変なものを見てしまった。

父の詫び状

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行きつけのブログを巡っていたら、「薫日記」の竹内薫さんが、その日記で怒りをぶちまけていた。題して「教科書会社に巣くう妖怪ども」。最初のほうを引用してみます。
 ———ここから———
「諸君!」3月号を読んでいたら「教科書の、向田邦子改竄」(高島俊男)という記事が目についた。なんと、向田邦子さんの文章を目茶苦茶に改竄して子供に読ませているのだそうだ。
 ———ここまで———
なぜか気になって検索してみると、改竄されているのは彼女のエッセイらしい。向田邦子のエッセイといっても、ぼくは「父の詫び状」しか知らない。それも、ある特別な事情で。向田邦子さんは子どもの頃の一時期、鹿児島市の平之町に住んでいた。「父の詫び状」は、その時の思い出が多く綴られているのだけど、そのひとコマに、同じ平之町に住んでいて彼女の同級生だった、ぼくの伯母が登場しているのです。と、そんなわけで、この日記の記事が、ほんのちょっぴり気になったのでした。
おしまい。

マンダム

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駐車場に植えてあるキンモクセイが満開だ。キンモクセイの開花時期は11月ごろだと思うのだけど、こいつは昨年からたびたび花を咲かせている。植物に血液型があるかは知らないが、几帳面さに欠ける性格からして彼はA型ではない。ご存知のように、キンモクセイは雌雄異株で、日本のキンモクセイはすべて♂である。そう、この国のキンモクセイ界はじつに暑苦しいのだ。
そういえば、かなりむかし、男性化粧品のCMにすごいのがありましたね

なんなんだ

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昼すぎ、ぼくは自分用にコーヒーをいれていた。そしてそれを飲もうとしたときに、月に一回くらいの頻度で現われる不思議な親子がやってきた。そして、推定年齢64歳の母親が開口一番こう言った。
「今日は、何も買わな~い♪」
ぼくはそれを無視して、
「ちょうど今コーヒーがはいったんだけど、飲みます?」
と言った。接客業をされている方ならお分かりと思うが、お客様の言うことをいちいち真に受けていたら狂う可能性がある。
「あら、これおいしいね。朝はこういうのを飲みたいのよ。ねー、これナニ?」
推定年齢64歳が言った。
「トラジャです。インドネシアの夜はこれがないと明けません」
ぼくは言った。
「じつは最近、悪いことが続いて」
と、約32歳くらいの髭を生やした連れが話し始めた。
「それでここに来たんです」
な、なんなんだ。悪いことが続くとここに来るという、その根拠は。
二人は最近起こったという、その悪いことを話しきり、スッキリした顔で帰っていった。
なお、トラジャをご購入いただきました。まいどあり~♪

なんでもないことが

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風邪をひいたのが先週の月曜日。ちょうど一週間が経った。
体調はほぼ戻ったのだけど、あいかわらず嗅覚がほとんどゼロ。
嗅覚が無くても、視覚や聴覚のように逼迫した不便さは無い。
慣れてしまったのか、いつもと変わりなく過ごしていた。
夕方、突然嗅覚が戻ってきた。珈琲豆を袋に詰めようとした時だ。
あっ、と思った。懐かしかった。感動した。涙が出そうになった。