water blue

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アジサイの写真を撮っていて、ふと思った。
子供のころ画用紙に描いた雨の色は青だった。なんでだろう。
そうか、水色か。
太陽は赤く、水の色は青だった。
そういえば、恋は水色、なんて曲があったっけ。
でも、なんで恋が水色なの。涙の色?
ま、いいや。
アジサイの青って、雨に似合うよね。
それが言いたかっただけ。

ぼくの白い花

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昨夜、ぼくは帰宅して駐車場に車を停めると、まっすぐ庭の水鉢に向かった。朝咲いた睡蓮の花を見るために。でも、花は固くつぼんで、ぼくに気づきもしなかった。それは付合いはじめた彼女の家に行くと思いがけずオヤジが出てきて、娘はもう寝た、何時だと思ってる。ガシャン、みたいな情けない気分だった。今朝、ぼくは眠い目をこすりながら白い花に会いに行った。ぼくは心配だった。昨夜の傷はまだ癒えていなかった。でも、花はすっかり目覚めていて、ぼくに微笑んでくれた。ぼくは昨夜のことなどすっかり忘れ、元気になった。

急いで家に帰ったわけ

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ここ数日、ぼくは庭に置いた小さな水鉢を熱心に覗き込んでいた。昨年暮れ、ぼくは珈琲を買いに来るお客さんからスーパーの袋に入った泥のかたまりをいただいた。それを教わったとおりに水鉢の底に沈め、毎日飽きることなくそれを眺めていた。やがて泥のかたまりは芽を吹き、丸いつやつやした葉を水面に広げていった。
一週間前、ぼくは水の底に小さな蕾らしきものを認めた。それはみるみる大きくなって、水面に頭をもたげ、そして今朝、まるで定時を知らせる精妙なからくり時計のように、おもむろに膨らみはじめたのだった。ぼくは急いで鞄からカメラを取り出し、その様子を記録した。しかし、すでに家を出る時刻をかなり過ぎている。ぼくは遅刻を恐れるサラリーマンよろしく、開きかけた花を後に家を出たのだった。
帰宅し、駐車場に車を停めると、ぼくはまっすぐに水鉢に向かった。完全に開いた白い花を見るために。
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道は星の数

ぼくが住んでいる皇徳寺から川辺町(南九州市)へ行く道は、いくつもあるけれど、ぼくのお気に入りは、川辺ダムを経由していく道。景色が開けているし、交通量が少ないこともあって、気分よく走ることができる。途中、川辺ダムに車を停めて、コーヒータイム。
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初夏の日差し、空は秋色

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デジイチに古いレンズをくっつけて、ドライブに出かけた。
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古いレンズだから、ピントは手で合わせる。時間はたっぷりあるので、のんびりとピントを合わせる。遅いからといって、だれも怒ったりしない。風の音、鳥の声、川の流れる音。今日は、いつもとコースを変え、ダムの横を通って南九州市の岩屋公園に走った。
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川のそばのベンチでランチタイム。パンに手作りリエットをはさんで食べる。珈琲はもちろん、某珈琲店の珈琲。
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アサーッ! なわけないか
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このはし、渡るべからず。
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崖になにか彫ってある。
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帰りに、中山インターチェンジ近くの園芸屋さんでアイビーゼラニウムというのを買った。
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できたら

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ヒマさえあれば、カメラを持って店の周りをうろついている。そして、どうでもいいような無駄な写真を撮っている。でも、できたら人物の写真を撮りたいと思う。きれいな人はきれいに、そうでない人はそれなりに。しかし、だれも撮られたがらない。意外と迷信深い。しかたなく、ゴミをあさりに来た野良猫や、溝のふたに生えている草などを撮っている。

読んでから見る?

バチカンを舞台にしたサスペンス、ダン・ブラウン著「天使と悪魔」が映画になって昨日公開された。ぼくは今それを本で読んでいる最中なんだけど、当然というか、本の中で活躍する主人公の顔と声が否応なくトム・ハンクスになってしまう。数年前に読んだ同シリーズ「ダ・ヴィンチ・コード」の時は、それが映画化されることを知らずに読んだため、主役の某大学教授の顔はトム・ハンクスになることはなかった。トムでも悪くないんだけど、なぜか彼はぼくの中ではコメディアンに分類されていて、つい、ビル・マーレイ主演の「ゴースト・バスターズ」のような展開を想像してしまう。そう、クライマックスでマシュマロマンが現れ、教会を踏み潰すというアレ。かなり古いけど。
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朝の声

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血圧が低いせいか、朝起きてもノーミソは半分寝ている。しばらくベッドに腰掛けたまま、遠くから自分が帰ってくるのをじっと待つ。顔を洗って階段を下りる。ぼくはテレビを見ないし、新聞も見ない。冷蔵庫を開け、野菜ジュースをカップに入れる。数日前に植えたバジルの様子を見るために外に出ようとすると、庭から「花が咲いているよ」と声がした。
ぼくの願いは多いかもしれない。
でも、どれも小さなことだ。と、思う。
たとえば朝は、「花が咲いているよ」といって起こしてほしい。