東京の空気

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古い人間のせいか、どうでもいいことが気にかかる。
数日前、アマゾンにminiSDを1枚注文した。
翌々日、それは不必要に大きい箱で届く。
いつものとおりだ。
箱の中は空っぽといってもいい。そのほとんどが東京の空気。
1500円以上は送料無料なので、ぼくは小さな品物を小まめに注文する。まとめて注文してあげよう、という優しさはぼくにはない。
思いついたらボタンをポチッと押す。
そういうわけで、東京の空気の箱詰めが次々と届く。
なんだかやるせない。実にもったいない。

小さい月が消えた夕暮れ

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夕方、雲が晴れて月が顔を出した。
でも、いつもの月じゃなかった。どう見ても一つしか見えない。
いつもとなりに寄り添っている小さな月はどこに行ったのか。
写真に撮ってみたけれど、やはり一つしかない。
奇妙だ。小さい月はどこに行ったんだろう。

1時には寝るのだ

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朝起きるとまず朝顔の苗を植木鉢に移植した。空を厚い雲が流れている。いつ降りだしてもおかしくない空模様だ。今日は休みだけど、平日にはできない作業をいくつか割り当てていた。ぼくはコーヒーを飲んだりアイスクリームを食べたりしながら作業を片付けていった。洗濯物を外に干したので、作業の合間にベランダに出て空を眺めた。睡眠不足の日が続いている。今日こそは早く寝よう。せめて1時には。
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やつらは自我の壁に開いた穴からやってくる

1Q84、読み終わりました。
で、読んで思ったこと。
この物語にはほとんどの人が忘れてしまっている、あるいは気づかない(最も根源的な)真実が描かれているのだけど、それゆえに
「説明しなくてはわからないことは説明してもわからない」
ので、説明しなくてもわかる人には評価が高く、説明しなければわからない人には説明してもわからないので低い評価が下されそうです。それはデジタル放送はデジタル受信回路を持った受信機でないと見ることができないのと同じ理屈。
ところでこの作品は奇譚でもファンタジーでもないですね。むかし「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という対談の本がありましたが、1Q84は、その延長線上にあって、しかもこれを読むと春樹氏は河合氏が世を去った今もなお河合隼雄に会い続けていることに気付かされます。この作品を読んでいて、以前このブログに書いた「同じ方向を」という記事を思い出しました。

雨の夜は桃のコンポート

雨が降っていたのでランニングはサボった。
長く続けたいのでサボることも大切だ。
夕食後、お客様からいただいた桃のコンポートを食べた。
もちろん手作りだ。
またとないウマさだった。
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夏のはじまり

もうすぐ6月が終わる。
そして、大好きな7月が始まる。
夏だ。
入道雲の夏。
気をつけないと、いつの間にか終わってしまう夏。

二日目

昨日に引き続き、今日も走った。今夜は目標があるので、走るのが楽しみだった。目標とは、昨夜のタイムを5分縮めること。走るのになれてきて、靴の音もずいぶん小さくなった。なかなか気分がいい。滞空時間も昨夜より少し長くなった。この調子だと5分以上短縮できそうだ。ところが、後半になって、急に足が痛くなってきた。昨夜の疲れが出てきたようだ。しかたなくペースを落として走った。残念ながら、2分30秒しか短縮できなかった。

ランニングデビュー

やっと雨がやんだので、今日から走り始めた。
予定では10km走るはずだったのだけど、今日、店にいらしたお客さんたちから、
「いきなり10キロも走るのは無謀だ」
「心臓麻痺で死ぬかもよ」
との指摘があったので、とりあえず今日はランニングデビュー、ということで4km走ることにした。
仕事が終わって、家に帰り着いたのが8時過ぎ。服を着替え、新しい靴を履いて、街灯に青白く照らされた夜のアスファルトに躍り出た。むかしのように軽快に地面をけり、タッタッタッ、と音もなく走ってるつもりだったのだが、現実にはドタドタドタ、と、チャップリンの靴で走っているような音がした。上下動も激しく、視線がゆれる。ひどいものだ。10年のブランクは、ぼくの走るフォームを悲しいほどみじめなものにしていた。1キロ走ったあたりで息が上がり、歩き始めた。悔しかった。走っては歩き、歩いては走った。家に帰り着くと、汗びっしょりだった。

社員研修のため

来月5日の早朝、2泊3日のささやかな旅に出かけます。5日は日曜日、7日は火曜日ですが、たぶん、店は閉まってます。そしておそらく、ドアには次のような貼紙がしてあります。
  —– 社員研修のため、7日(火曜日)まで休みます —–