見つめていれば消えていく
今回の田口ランディさんの記事は、なかなか読み応えがあったな~
蒸し暑い夏の夜は、なぜかこういう記事が読みたくなるんだよね。
始めないことには始まらない、その2
時が経つのは早いものである。このまえ花見をしたな、と思っていたら、紫陽花が咲いて入梅し、気が付くともうお盆。そして、いつまでも暑いですねー、なんて言っているうちに年賀ハガキが発売され、あれよあれよという間に大晦日。と、いうわけで、今年も恒例の盆前大掃除を始めたのであった。去年は8月5日に大掃除を開始している。毎日ブログを書いていると、2クリックで去年の今頃ナニをしていたか、すぐに分かってしまう。これは変な感じであるが、かなり便利だ。毎年同じ時期に同じ作業をする場合は特に。ぼくは一連の作業に入る前にイメージトレーニングをする。無駄や危険を回避するためだが、このイメージトレーニングプログラムを組み立てるのに、ブログはけっこう役に立つ。たとえば、一昨年のブログによれば、ぼくは盆前大掃除の最終日に熱中症にかかっている。そういった要素を取り入れながら、作業時間や順序を決めていく。
某珈琲豆屋の夏休み
ぼくのコダクロームその2
先日、ぼくのページにもリンクさせてもらっている、そううつだものさんの記事の写真を見て、少し、いや、かなり感動した。なんというコントラスト。こういう毒々しいまでのコントラストをアクロバット的にバランスできるのはコダックの撮像素子しかない。ような気がする。彼女のカメラに使われている素子がコダックのものかは知らないけれど。
と、いうわけで、10年前まで使っていたコダックのデジカメを復活させることにした。ボディーを布で拭き、レンズの汚れを取り、電池を入れてスイッチON。反応なし。電池を出し、再び入れなおし、スイッチON。やはり反応なし。それでもしつこく同じことを繰り返していると、ついにコダックは長い眠りから覚めた。さっそく屋上に上がって何枚か写真を撮ってみる。パソコンで見てみると、ひどく眠たそうな絵だ。冬眠から覚めたばかりだから仕方がない。
P.S.
写真を見て気づいたのだけど、日付の設定を間違ってました。
ひまわりの丘
ベッドから起きあがり、カーテンを開けると青空が見えていたが、それは夏の青空ではなかった。青い空に白い入道雲が力強くわきあがる夏の青空であれば、迷わず海に行って泳ぎまくるはずだったが、こんな空ではそんな気分にはなれない。雲の形がカッコ悪すぎる。車は珍しく北に向かって走り出した。目指すは、あのソフィアローレン主演の映画「ひまわり」に出てくる某国のひまわり畑に来たような気分にさせるかもしれない、某都市農業センターのひまわり畑。
駐車場に車を停め、ドアを開けると、ふとどこからか、あの「ひまわり」のテーマを演奏するピアノのメロディーが聞こえてきた。ような気がしたが錯覚だった。ヘンリーマンシーニによるあの深い悲しみを湛えた美しい旋律は、どこか翳のある男と呼ばれて久しいぼくのテーマにふさわしいといえよう。センターに入ってすぐのところに、目的のひまわり畑はあった。あったのだが、時はすでに遅く、盛りを過ぎたひまわりの花びらは茶色く変色し始めていた。でも、それでよかったのかもしれない。ぼくの記憶の中で永遠に揺れ続けるひまわりは、たぶん、こんな感じなのだから。
そのポピュラーな大柄なひまわりの向こうに、見たことのない、やや小振りなひまわりが満開を迎え、風に揺れながら、遠い見知らぬ国の歌を口ずさんでいた。しかし、ぼくの目にはどう見ても彼らはひまわりには見えなかった。
でも、背後に回ってみると、そのうなじ?の辺りが、まさにひまわりのそれだった。枯れはじめたひまわりを見たせいで、ぼくは少しさびしくなっていた。枯れてうなだれたひまわりは、夏の終わりを告げているようにしか見えなかった。
ひまわり畑の横では色とりどりのヒャクニチソウが一面に咲き誇っていた。
ヒャクニチソウなんか、どうでもよかった。
でも、その中に黄色い大きな花がひたむきに空を仰いでいるのが見えた。
ぼくは見えない糸に引かれる夢遊病者のように、ふらふらとそちらに歩き出していた。
明日は休みです
眠い一日であった。
なぜ眠かったのかというと、昨夜、突然おなかが痛くなって目が覚めたからである。
たぶん、食い過ぎのせいだ。
壁の時計を見ると4時前であった。
強力わかもとを9錠飲んで、再び床についた。
眠いと仕事がテキトーになるのが良くない。
眠くても珈琲豆はしっかり焼く。失敗は許されない。
しかし、接客がいい加減になる。失敗が許されるという意味ではない。
もっと書きたいけど、本当に眠いので、もう寝ます。
二〇二六年四月
昨夜見た「渚にて」、良かったなぁ~
1959年の作品なんだそうで、白黒だった。
この映画を見てて、あるSF小説の情景が浮かんだ。
それはブラッドベリの火星年代記。
その中の一編「二〇二六年四月」
そこには人の孤独の本質が描かれている。とぼくは思う。
だれもが孤独に生まれてくるのに、それを忘れてしまう。
明るい場所に置かれたロウソクの火は見えにくい。
闇の中に揺らぐロウソクの炎は力強く、まばゆい。
On the Beach
白い天使の羽
昨夜は、一人、部屋を暗くしてマイケルジャクソン特集を見ていた。
プロモーションビデオ、YOU ARE NOT ALONE を見ていたら泣けてきた。
酒を飲まずにはいられない気分になった。