春なのに

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春だというのに木枯らしの吹く寒い一日だった。そんなわけで今夜は鍋なのだった。夕方いらした常連のお客さんに、今夜は鍋だよ、というと、あたしゃ一人だから鍋は好かん!と言った。

ダンスダンスダンス

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わがままな君が春なんか大嫌いだと叫んでも
春はもっとわがままだから、かならず春は来る。
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夕方、7時の某国営ラジオニュースを聴いてたら、解説委員が長い解説の最後に、明けない夜はありません。と言った。
するとアナウンサーがそれに応えて、
ええ、明けない夜はありません。と、思いのこもった声で言った。
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駐車場のモモ。5分咲きといったところ

曇ってても春分

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空が曇っていたのでドライブには行かず、黎明館で開催されている二科展に行った。ドライブに行けなかったのは残念だったけど、二科展は想像以上におもしろかった。図書館の敷地に植えてある淡墨桜が8年ぶりに咲き始めた、とのことで、ついでに見に行った。ほとんどがまだつぼみだったけど、淡いピンクが可憐だった。昼食は犬迫町にある某石蔵の手打ちそばがおいしい、とのうわさを聞いてたので、そこでたべることにした。
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自宅に帰り着き、久しぶりに映画を見ようと思ってプロジェクターをセットしていると、近くの公園に出かけたヨッパライ某から、花がきれいだよ、と電話があった。人が多いんじゃないの、と聞くと、そうでもない、とのことだったので、行ってみることにした。
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あまり期待せずに行ったのだけど、変わった趣向の展示があったりして、意外と楽しめた。
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テレビに、お気をつけください

以下、田口ランディさんのブログ「自分の感受性は自分で守る」から
——————– ここから ——————–
知人のおおくまゆきこさんから、このような情報が送られたので共有したいと思いました。
以下、引用させていただきます。
◆◇「テレビに、お気をつけください」◆
*特にお子様、感受性の強い老若男女の方々。
というメールを臨床心理士の方から:
テレビで繰り返し繰り返し流される悲惨な映像は、非常に強い吸引力を持ちます(とかく最近のメディアは人々の不安をあおるのが特徴です)。人によっては催眠にかけられたようにテレビの前から動けなくなる人もいるでしょう。こうした映像に何度も何度も自分をさらすことは、何の役にも立ちません。
身体がだるくなったり、ボーッとしたり、涙が出てきたり、妙な罪悪感が湧いてきたり、不安状態にある自分に気づいたら、即刻テレビを消すか、必要なニュース速報のみが流れてくる全く違う番組にしてください。
***私たちが生きていく為に必要な情報が得られれば、それだけでいいのです!***
トラウマの渦の引っ張り込む力はとてもとても強力です。
サンフランシスコ大地震の時は、繰り返されるメディア報道が、人々にもたらすネガティブなインパクトは甚大だったといいます。
—————— 引用おわり
※元記事はこちらのようです

メソメソ君、再起動

やっと少し楽になった。まさかこんなに落ち込むとは。
原因は、あの凄絶な映像ではなく、ネットのニュースで見た、ある被災現場の描写だった。
その中の一節が瞬時にぼくを捕らえ、ぼくをその場所に立たせた。ぼくは、ぼくが見てはならない、あるものを目の当たりにした。
涙があふれだした。ぼくは感情の一部を遮断した。
今日は休みだった。空も晴れていた。でも、いつものようにドライブに行く気力はなかった。
顔を洗ってダイニングに下りていくと、ヨッパライ某が
「弁当を作ったよ、どこか行こう」と明るく言った。
ぼくは少し元気が出てきて、しばらくすると、どこに行くか考え始めた。あの海の近くの丘で、ウグイスの声を聞こう。そして海を見ながら弁当を食おう。
ぼくは車を走らせた。
行く途中の公園で、桜を見た。満開だった。
丘に上るとウグイスが鳴いていた。
ぼくらは凪いだ海を眺めながら弁当を食べた。
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タフでなければ

タフでありたい、といつも思うのだけど。
なかなか、そうはならない。
タフでありたい。でも、だからといって、鈍くなるのはイヤだ。
どこかの探偵が言ってた。
タフでなければ生きて行けない。
優しくなれなければ生きている資格がない。