目覚まし

いつからかぼくは某国営ラジオの音楽で目覚めている。今朝、それはシューベルトの未完成であった。悪くない。悪くないぞ。と、ぼくは寝ぼけマナコでつぶやきながらベッドから起き上がった。その昔、ずいぶんむかし。ぼくはカセットテープレコーダーをタイマーに接続し、毎朝同じ音楽で目覚めていた。ちなみにそれは天地真理の「あなたーを待つのーテニースコーートーー♪」というのであったが曲名は忘れた。こういうのをいつまでも覚えているのは記憶の無駄だと思うのだが、自分ではどうしようもない。明日の朝は何がかかるだろう。楽しみだ。おやすみ

わらしべ的冬の休日

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天気も回復したし、たまには寿司でも食おうということで南に走った
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山を越えたところにある今は使われていない古い学校に寄ってみた
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漁港近くのいつもの食堂に行くと、日替わり定食がカマスのフライ680円だった。困った。安いほうの寿司1280円を食べる予定だったのだが、カマスフライ680円もたいへん魅力的だ。15秒ほど深刻に悩んだあげく、カマスフライ680円に決定した。人生とは選択の連続なのだ。ちなみに、じつにうまかった
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漁港近くのスーパーでいつものように魚を物色。さきほど食堂で食べたカマスは50円で売っていた。なんか悔しい。チヌ(クロダイ)、一匹100円。これを5匹買った。塩焼きにする予定
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なんとかカツオ。うまいか分からなかったけど、うまそうだったので買ってみた。一匹100円。とりあえず刺身にするつもり。
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イサキ、三匹1000円。これは刺身でも焼いてもうまい。実証済み
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いつも手作りのケーキやお菓子をいただいているOさんに、さばいた魚を少し持っていった。そしたらワインをくださった。エビでタイ、ではなく、タイでワイン。なんか、もうけた。うふ

12月の記憶

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12月。冬は寒いから嫌いだけど、12月は好きな月。たぶん、子どものころの楽しかった記憶がそうさせるのだと思う。たとえば家族でクリスマスツリーを飾った記憶。飾っている家族たちの楽しそうな顔、顔、そして歓声。忘れかけた遠い思い出。その記憶の余熱がぼくを温めてくれているのだとおもう。
写真は、昨夜お客さんが港の近くで撮った愛車の写真。いい感じ

大地の恵みじゃー その2

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親元を離れ、自炊生活を始めたとき、はじめて米のありがたさを知った。親と暮らしていたときは、メシもフロも電気も水道も、洗濯も自動的に行われ、全部タダだった。だが、親元を離れると、突然すべてが手動になり、有料になった。今でもあの時のショックが忘れられない。いつのまにか米の入っている袋が空になるのだ。それはぼくにとって意外なことだった。米は永遠に途切れることなく、空気のように「ある」ものだと信じていたから。という話をするつもりじゃなかったんだけど、写真のお米をもらったとき、なんだかとてもうれしくて…。たぶん、前述のような経験のせいもある、と思うんですよね、うん

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昼過ぎ、店にいらした紀行窯さんから手作りのお米をいただいた。薬や肥料に頼らず、大地の恵みだけで育てたお米だそうです。すげーなー。詳しくは、紀行窯さんのブログ、フェイスブックで
※カップは紀行窯さんの作品です。