キタ――
灰色の日曜日
五月も今日で終わり。仕事を辞めて1か月になる。後片付けも進み、選択可能な自由な時間が増えつつある。昨夜はとても疲れていて10時頃には寝てしまった。早く寝ると早く起きる。今朝は5時に目が覚めた。庭に出てみると、某火山の灰がスイレンの葉にうっすら積もっていて、なんだか気分も灰色になった。昨日ダウンロードした本を1時間ほど読んでいるうちに、朝食の準備ができたとの声が聞こえた。仕事をしているときは朝食抜きだったので、一日の内に不要なイベントが一つ増えたような居心地の悪さを覚えつつ目玉焼きを口に運んだ。ぼくはいま病人なので朝食を抜くことが許されていない。
昼食はヨッパライ某のリクエストでスパゲティーを作ることになった。昨日の昼がザルそばだったので二日続けて麵類かよ、と思ったが、イタリア人は朝昼晩スパゲティーを食っているのだから大きな問題ではないと考え、先日買ってきたズッキーニとシーフードとトマトで適当に作ったところ、ヨッパライ某がすごくおいしい、とうれしそうに食べてくれた
人工池にミズカマキリがいた
朝食後、ヨッパライ某を誘って近くの公園に散歩に出かけた
この公園には人工のせせらぎが作られており、ちょうど今の時期、日が沈んだころ遊びに行くと、ホタルがぼーっと光りながらユラユラ飛んでいるのが楽しめる
せせらぎは人工の池に流れ込み、池の周囲をトンボがせわしく行き交っている
今日は土曜日なので、子供たちが網を持って池を漁っていた。獲物はミズカマキリやヤゴ。さすがにタガメやゲンゴロウはいないようだ
せせらぎ沿いにはアジサイがたくさん植えられていて初夏を演出している
家に帰り、昼食の準備。今日は先日買ったソバの乾麺でザルそばを作ることにした。ソーメンでもよかったのだけど、初めて買ったそばの味を試そうと思って。いつもは五木そばの乾麺を買うのだけど、ちょっと気になるそばがあったので今回はそれを買ってみた。素朴でぼく好みの味。しかし長年食べ続けている五木そばもやはり捨てがたい。その時の気分で使い分けることにしよう
わが家のバジル
電子書籍の30%割引クーポンの締め切りが明日までなので、入院中に読む本を3冊ダウンロード。一つは12年前に図書館から借りて読んだ大貫妙子著「私の暮らしかた」。仕事を辞めて気ままに日々を過ごすようになって、なぜか思い出したのがこの本。(写真は12年前に撮ったものです)。内容は思い出せないのに、この本がこれからのぼくの生き方の参考になるような気がしました。あと2冊は稲垣栄洋という植物学者の書いた「植物に死はあるのか」と菅仁著「量子力学シンキング」。ふっ、入院が待ち遠しいぜ、なわけないか
バスに揺られて その3
ジャカランダが咲いていた
ヨッパライ某を病院に送った後、いつもなら海に向かうのだが、今日は病院近くのホームセンターに行って植物の苗や種を見て回り、エアコンの室外機のパイプの補修に使うスプレー式のウレタンフォームなどを物色検討したが、結局、買ったのはセメントだけだった
一週間分の買い物を済ませ、食材を家の冷蔵庫に放り込んだ後、ヨッパライ某の母のいる施設に寄り、そのまま南下して海の駅で菜の花カンパチ丼の大盛を注文。残念ながらカンパチは売り切れていて代わりにマグロになった。とてもおいしかったです。物産館でズッキーニが100円だった。しかし、さっき150円で買ったばかりで買う必要はなかったのだけど、なんだか悔しくて一個買った。
ジャカランダと某火山
植物園のバラが結構咲いていて、いい匂いが漂っていた
再起動後にぼくは
雨の音で目が覚めた。時計は5時50分を指している。仕事を辞めたので、することが減ったかというと、今のところそうでもない。片付け、家や家具などの補修、庭の手入れなど、ほとんど休むヒマがない。ヨッパライ某からは、じっとしていなさい、と、うるさく言われ続けているのだが。動き回っているせいで夜10時頃になると眠くてゾンビ状態。早く寝ると、やはり早く起きてしまう
写真編集ソフトを新調したところ、現像処理にやたら時間がかかるようになった。今まで使っていたソフトだと写真一枚当たり数秒で終わっていたのが、例えば上のアジサイの写真だと3分50秒もかかる。カメラの画素数が多いせいもあるが、現像処理に今はやりのAIを使っているからそうなるらしい。暗部のノイズが劇的に減るなど、たしかに画質は素晴らしい。もう前のソフトには戻れない。でもさほど重要でもない作業に残り少ない貴重な時間を使いすぎるのは痛い
というわけでグラフィックスカードを注文し、それが今日届いた。パソコンのふたを開け、カードをPCIスロットに挿す。ドライバーをインストールして再起動。結果、3分50秒かかっていた現像処理が14秒に短縮。16倍速くなった。機械は部品を足したり交換することで性能が上がる。ぼくは来月心臓の部品を交換するが、10年若返るつもりでいるのだった






































