期待せずに見たDVDがとてもおもしろかった。それはバードマンという映画。スーパーヒーロー物かと思ったら、予想に反して、愛について真剣に考えた映画だった。
たとえそれでもきみはやっぱり思うのかな、
この人生における望みは果たしたと?
果たしたとも。
それで、君はいったい何を望んだのだろう。
昨夜、パソコンで写真を現像していたら画面が突然消え、シャットダウンした。やれやれ、またかよ。その夜、結局パソコンは生き返らなかった。というわけで、今日は本気でMacを物色した。Macに代えたからといって、相手は機械なのだから壊れることに変わりはないのだけど。夕食後、とりあえず原因を究明すべく、机に横たえてふたを外し、電気を投入してみた。すると何事もなかったように生き返ってしまった
おそらく、マザーボードに電気を供給しているケーブルのコネクタが接触不良を起こしていて、それがパソコンを横に寝かしたためにケーブルの重みで動き、偶然導通したのではなかろうか。テレビが映らなくなったとき手でひっぱたくと直ることがあるが、あれとほぼ同じだ。というわけで、マザーボードに刺さっているコネクタを全部外し、何度か抜き差しを繰り返して導通の回復を試みた。努力の結果、今のところ画面は消えず、問題なく動いている。でも今度消えたらMacかな
ラジオからクラシック音楽が流れ始める。朝だ。ぼくはベッドから起き上がり、ふらふら階段をのぼって屋上に出る。ぼくはフェンスにもたれ、遠くの海を眺めながら、夜の間どこかに行ってしまった自分が戻ってくるのを待っている。するとぼくの顔をかすめて何か飛んでいった。トンボ。また来た。ぼくの頭をするりとよけて、うしろに飛んでいった。彼らにとってぼくは枯れ木と同じなんだろう。トンボは次々にぼくめがけて飛んできては、ぼくの目の前で右に左に向きを変え、また元の進路に戻って飛んでいく。ぼくは彼らの道をふさいでいるらしい。ぼくにその道は見えない。実際のところ、世界のほとんどは見ることができない
ある本の中で開高健は、無人島に本を一冊持っていくなら何を持っていくか、という問いに「旧約聖書」と答えていた。ただしそれは純粋に文学的な理由からであって、私は無信仰者である、と断っていた。聖書ではなく旧約聖書と限定してるあたり、ああ、なるほどと思わされる。欧米では昔も今も、無人島に持っていく本といえば、そのトップに聖書があがるようだ。旧約に限ってないようだし、求められているのは文学的な魅力とは別の何かなのかもしれない。日本のオンライン書店が2012年に「無人島に持っていくならこの一冊」という企画で投稿を呼びかけたところ、1位 ONE PIECE、2位 聖書、3位 広辞苑、となったようだ。2位が聖書というのは意外だった。投稿者のコメントには、「極限状態に陥ったらきっと聖書が心の支えになるのでは?クリスチャンじゃないけど」なんて書いてあり、合点がいってなかなかおもしろい。ぼくはといえば、聖書と広辞苑はぜひとも持って行きたい、と思っている。聖書は別格として広辞苑は読んでもおもしろい。ランキングを眺めていて、11位に星の王子さまがランクインしているのに妙に共感を覚え、なんだかほっとした。星の王子さまはほとんど暗記しているので、特に持って行こうとは思わないけど
P.S.
ちょっと気になって、開高健の発言を調べてみたところ、文学的理由から、とは言ってなかった。以下、そのまま書きうつします。
… 現代語訳でない旧約聖書。欧文脈、和文脈、漢文脈の完璧な成果。ただし、私は無信仰者である。人間学として読むのである。すべてはここに言い尽くされている。