自分を忘れてしまうこと、それが人生の意味です

レヴィナスが言ってることを分かりやすく書いた本はないかと探してたら、とりあえず岩田靖夫「よく生きる」という本が見つかった。例えば、レヴィナスとは直接関係ないけど、こんなことが書いてある。

さて、私の考えでは、何のために生きているかというと、「かけがえのない人に出会うために」生きているのです。何のために生きているか。美味しいものを食べるために生きているのでもないし、お金を儲けるために生きているのでもないし、名誉を得るために生きているのでもなくて、「かけがえのない人に出会うために」生きている。それが、私の七〇年の結論。そういうかけがえのない人に出会うことによって、自分もかけがえのない人間になる。

中略

かけがえのない人に出会うということは、だから、自分のことを忘れてしまうということです。これが自分を肯定するということです。自分が消えてしまう、自分がなくなってしまう、これが自分を肯定するということです。人に尽くして、人のために何か一生懸命やって、自分のことを全部忘れてしまって、自分なんかもう頭から消えてしまった時に初めて、人間は孤独を脱出して、自分の存在が肯定されるのです。これに対して、自分を大事にして、自分には価値があるとか、自分の存在には意味があるとか、自分は素晴らしい仕事をしたとか、自分自身の肯定とはそういうことではありません。本当に自分自身が肯定されるためには、自分を忘れてしまうというところまで行かなければだめなのです。

中略

レヴィナスは、誰かが溺れているのに出くわした時に、自分が泳げるのか泳げないのかも忘れて水に飛び込むのが、善い行為というものだと言っています。自分を忘れてしまう時に、その人は本当の人間になる。だから、自分を忘れてしまうこと、それが人生の意味です。

読んでると眠くなるのです。春だから

宇宙の彼方へ

たまには父を誘ってウナギでも食べに行こう、と思い、声をかけたが、「最近外に出るのが億劫になってなー、また今度」と、いうことだったのでコーヒーをポットに詰め、ヨッパライ某をとなりにのせて車を走らせた

いつもの店に行ってみたが、どのテーブルも人生の大先輩たちに占められ、すでに異次元の揺らぎがあちこちに表れていた。次元の境界に生じる不安定な揺らぎはぼくの繊細な神経にダメージを及ぼす。ぼくは順番待ちリストから自分の名前を消し、店を後にした

初めての店の玄関でメニューを眺めているとウエイトレスがやってきて、どうぞどうぞ、と笑顔で中に招き入れた。広い店内は誰もいなかった。ぼくは不安になった。海の見える窓際の席に座り、ぼくは焼き魚定食、ヨッパライ某はナントカという変な名前の定食を注文した。運ばれてきた焼き魚は値段の割に小さく、ぼくの不安は的中したかにみえた。しかし食べてみるとこれが予想外にうまく、値段相応以上だった

金曜日の午後

ついに買ったよ、単焦点付き一眼っ! なお、ぼくではありません

花をいただきました。

そう、それはまるでぼくの心のように白かった、みたいな

君のケーキは燃えているか

手分けしてローソクを立てる。手分けしてローソクに火を灯す。ここまではいつもと同じだった。今までと違ったのは、もう一人のぼくが、キミはこれだけのローソクを一息で消せると思うのか? と耳元でささやいたことだ

Purple Rain 5

ドアを開けると晴れていた。海に行って波打際をどこまでも歩きたい気分だった。でも、あの花の匂いを嗅ぎたい、というリクエストがあったので、山の奥へと車を走らせた。海はいつだって行ける。でも花は枯れてしまう

甘い匂いが立ち込めていて胸が痛くなるほどだった。匂いが遠い過去の記憶を呼び起こすことがある。しかし、このファンタグレープみたいな匂いは、不思議と何も思い出させなかった

八重咲の藤。ブドウみたい

昼食は東洋のナイアガラで安いウナギを食べることにした

帰りに山の上の湖に寄ってみた

大衆食堂

Well done!

町内会区長の任期が満了。やれやれ、やっと終わった、ということで乾杯。ちなみに区長本人、つまりぼく、は何もしませんでした。すべてヨッパライ某がやりました。ゴミステーションの問題などで眠れぬ夜もあったらしい。一年間、お疲れさん

失われた時間を求めて

3時ごろ仕事男がやってきた。またカメラを買ったという。何を撮るんだろうね

娘が持ってきたドライヤーがこわれたので修理。所要時間、約60分。ぼくの貴重な時間はこうしてまた失われていく

鍋の季節の終わり

店の屋上は菜園になっていて、ネギやレタスやサヤエンドウなどが植えてある。昨日、しばらくぶりに屋上に上がってみると、かわいい花が春風に揺れていた。よく見るとそれは春菊だった