浮袋

春はどうも心の安定を欠く。うっかりしてると波をかぶって沈んでしまう。いったん沈むと、なかなか浮かび上がれない。ぼくは浮袋にしがみついて波間を漂う。揺蕩えども沈まず。言わずと知れたパリのスローガン。浮袋。それは時にコーヒー、音楽、太陽の光、車のハンドル。さっきiTunes Storeに行ったら、細野晴臣が新しいアルバムを出していた。さっそくダウンロード。スピーカーから新しい音楽が流れる。ぼくの浮袋は膨らみ始める

自分を知るには一生かかる

たとえば、の話。カメラを買うとする。まあ、これくらいの価格ならいいだろう、と自分に言い聞かせ、ネットの購入ボタンを押す。するとしばらくたってから、あ、予備の電池を買うのを忘れた、あ、ケースもだ、そうそう、あれも、これも、となって、かなり予算をオーバーする。なぜ買う前に気付かないのだろう。不思議だ

なんかもらった夜

このページを某コンビニに行って見せると、なんかくれる、とゆーので、晩飯を食べた後、サンダルをつっかけ、暗い夜道を歩いて行った

これをくれた

愛される理由

君は自分が何なのか忘れてしまったんだね


自分を忘れてしまうこと、それが人生の意味です。
岩田靖夫著「よく生きる」より

考えれば不思議だ

ある雑誌の記事を読んで、今まで不思議とは思わなかったことが、急に不思議に思えてきた。以下抜粋


考えてみれば不思議なものだ。ある選択を行って、道が分岐し、そのときはそんなこともわからないが、それが自分の書くものに、あるいは自分の人生に、この上なく深い影響を及ぼす。それにまた、逃した機会というのも考えれば不思議だ。間違った選択を行い、何が起こりえたかはおそらく永久にわからず、何を逃したかもわからない、そういう瞬間。

ブライアン・エヴンソン 柴田元幸 訳
レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」


その時々の選択によって道は分岐し、人生は変化していく。当たり前じゃないか。でも、筆者が言うように「考えてみれば」たしかに不思議な気がする。たとえば本屋で何気なく手に取った本が、その人の人生を大きく変えてしまう。よくあることだと思う。それはほんの一瞬のできごと

この記事が載っていた雑誌。表紙がおもしろくて買ってしまった

あちらの常識

ヒマ人は今なにを読んでいるかというと、あの、だれもが読んだことがある、かもしれない、メーテルリンクの青い鳥なのだった。なぜか急に読みたくなって、ネットで中古のやつを100円で買って、ヒマなときパラパラめくってるのだった。読みながら、だれだったか忘れたけど、ジョイスのユリシーズはあるていど聖書に馴染んでないと、そのおもしろさは分からない、って書いていたのを思い出したのだった。ユリシーズに限らず、あちらの文学や映画は、聖書のエピソードを知ってると俄かに深みが増し、おもしろさが倍加することが多いのだった。

みえないもの

ぼくが撮りたいのは、写真に写らない何か。絵描きが描きたいのは、絵ではない何か。それを支えている、目に見えない何か


すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
きこえるものは、きこえないものにさわっている。
感じられるものは、感じられないものにさわっている。
おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。

ノヴァーリス

春なのに

寒い一日だった。寒いと家に閉じこもって映画とか見たくなる。久しぶりにプロジェクターを引っ張り出し、録画してあった2001年宇宙の旅を見始めた。この映画、ずいぶんむかし映画館で見たのだけど、その時風邪をひいていて気分が悪くなり、途中までしか見れなかった。今日はソファーにもたれ、ゆったりした気分で見ていたのだけど、コンピューターHAL9000が反乱を起こし、俄然おもしろくなってきたところでブチッ!と映画が終わってしまった。HDDの残量が足りなくて録画されなかったらしい

雨の祝日

ぼくはたぶん疲れていたのだと思う。朝起きると10時10分だった

今日はなんとかの日で、つまり、ほぼ全国的に休日なのだ。休日には日曜祝日に休む休日と平日に休むそれのほぼ二通りある

ぼくの休日は毎週月曜日。一度平日の休みを味わうと、赤い数字の休日には戻れない。そういうわけで、雨も降っているし、今日はドライブに出かけるのは止めて近くの公園に散歩に出かけた

公園には色んな植物が植えてある。買えば高そうな木や、管理の難しそうな草花。「金がかかるだろうなぁ」と、思わず現実的なことを考えてしまう。その金のかかった庭を自分の庭のように歩く。ぼくの金も少し使ってあるはずだし

昼食はスクランブルエッグとフランスパン。そしてコーヒー。スクランブルエッグはぼくが作った。家にじっとしているのももったいないので、いつものウォーキングコースをカメラを持って歩き始めた。折り返し地点の先にある急な坂を上り、明るい梅の咲く田園風景を楽しみながら歩き続けた。坂を下り、川沿いにある民家の庭先に植えてあるロウバイの様子を見に行く。満開の時期をだいぶ過ぎていたのだけど、花はまだ枝にしっかりついていた。特有の甘い香りも残っていた。期待してなかったので得した気分になった