屋上にあるペントハウスのドアの窓が割れた。よく割れる。ドアが強風で壁に叩きつけられて割れるのだ。飛び散らないよう、網入りガラスにしてある。しかし、網入りガラスはそう強くない。あまりにもよく割れるので、ついに防弾ガラスをおごってやることにした。しかし、高そうなので、やっぱり普通の強化ガラスにした。
ひびわれたガラスは、沈み行く太陽を映し、すまなそうにぼくを見つめていた。
「さようなら」
ガラスのつぶやきが聞こえたような気がした。
わが家は南向きのがけっぷちに立っているので、見晴らしがとても良い。晴れた日には、遠く指宿の魚見岳や知林ヶ島が見える。夏は指宿市の花火大会もきれいに見える。ビールがとてもウマイ。が、引き換えに、恐ろしく風が強い。
写真は屋上から指宿方面を臨んだところ。
海を見ていたい午後
日曜日。ぼくはお店で本を読んでいる。
外は曇っているけど、時々日が差してくる。
晴れている海を見るのはとても好きだ。
遠い海に、雲間から日が射すのを見るのも、とてもいい。
絶え間ないクーラーの音が、遠くから聞こえる潮騒のようだ。
FireWorks
三日ほど前からクソマジメに画像ソフトをいじり始めた。かなり久しぶり。ぼくが主に使っているのはFireWorksというPhotoShopをWebに特化したようなソフト。ところで、ぼくは画像ソフトとの相性がヒジョーに悪い。今まで何度も経験済みなのだが、画像ソフトに集中していると頭が変になるのである。起きているのに夢のような世界を脳が描き出す。それはダリとアッシャーの絵を足したような世界。異常事態を告げるアラートが点滅し続ける中、ぼくは仕事をしていた。記憶の脱落、リフレインが頻々と起きる。同じことを何度も繰り返す自分に腹を立ててる冷静な自分がいるので、とりあえず安心だ。ぼくは意識の海をマストの折れた小舟のように漂っていた。昼過ぎにいらした常連のF氏はさっそく気づいたようだった。「それ、さっきも言いましたよ」ニヤニヤしている。ぼくには自覚がない。指摘されないと分からないのは、とても怖いことだと思った。そんな状態でブログを書いているから背筋が寒くなる。ここ三日間のブログを今読むと、危なっかしすぎて冷や汗が出る。夕方から原因不明の激しい頭痛に襲われ、ついにダウンした。画像ソフトは恐ろしい。
カー
数日前、某ブログにイタリアかどこかの小さな車の写真が載っていた。ふだんは、ほとんど女性しかコメントしないブログなのに、そのエントリーだけ男性のコメントが続いた。男にとって車とは。もちろん、オモチャである。男にとって女とは。アルファでありオメガである。ところで、ぼくはひそかに軽トラックが好きだ。ピカピカのスポーツカーで女性を誘うのがカッコイイと思うのは田舎者である。軽トラックで誘う方がカッコイイのだ。軽トラックといえば、頴娃町の広域農道を思い出す。あそこで何度オジンやオバンの軽トラックにあおられたことか。あそこは変な町だ。ちなみに、日本初のツインカムエンジン搭載車はHONDAの軽トラックである。
雨の日のレイン
雨の中、電柱の横。モノトーンの女が立っている。A-B
ぼくは家の中から彼女の位置を計算している。2A-E
ぼくの視線に気づいてふり向く。125-90
カウントダウン
主人公 Z
信じられない話だが、ぼくの知っているカーペットのセールスマンは目が覚めると芋虫になっていた。芋虫になることが幸せかどうかはわからない。おそらくケースバイケースだろう。その後、彼がどうなったかは不明のままである。むかし見た映画によれば、大きな芋虫は大きな蛾になり、かわいい双子を乗せて南の島に飛んでいった。いまのところ、そのような噂はまだ聞こえてこない。
急いで口で吸え
ぼくはヒップホップがすごく嫌いだ。ところで、ヒップホップってなんだろう。ぼくはネットで調べてみた。すると、日本初のヒップホップは「スネークマンショー」のラップである。というくだりにぶち当たった。
一瞬、胸が高鳴った。ぼくは「スネークマンショー」が大好きだったのである。
スネークマンショーには、例えば次のようなすばらしいコントがある。
「パンダは、なに食べてるんだろうね・・・・パンダ」
ぼくは死ぬほどおかしかったが、友人たちに聞かせると
「どこが。ぜんぜんおもしろくないじゃん」
白い目で見られることが多かった。(特に女性)
ぼくは発見した。スネークマンショーのコントは踏み絵として使えることを。このおかしさが解らない人とぼくは類を異にする。思えば、ぼくの人生を大きく変えたのがスネークマンショーであった。
5000cc
いったい、悩みのない日というものはあるのだろうか。こんな風に書き始めると、今からすごく意味のあることを書くと思われるかもしれないが、今日は違う。ぼくはけっこう長く息を止めていられる、という話だ。最近は計ってないが、2分は大丈夫である。どうすれば長く息を止めていられるか。やはり訓練だと思う。ぼくは風呂に入るとき、水面下まで浸かる。とくに温泉では湯船が広いので、息を少しずつ吐きながら底まで沈み、水底に寝そべって瞑想する。インドの修行僧もここまではやらない。長く息を止める訓練を積んだ結果、ぼくの体には変化が起きている。といっても皮膚呼吸ができるようになったわけではない。脳ミソは恐ろしく酸素を消費する器官である。息を止めているときに頭を働かすと、すぐに苦しくなる。ぼくは意のままに、不要な思考を停止させ、酸素の使用量を減らすことができるようになったのである。その効果は絶大で、ずいぶん長く潜っていることができる。だからどうした、といわれると困る。
電影窓の向こう
ぼくは青春が終わった頃からテレビを見なくなった。以来、ぼくの中のスターは年をとるのをやめてしまった。山口百恵や天地真理を知らない人が増えてきたが、今日、店で天地真理の話題が出た。それは白雪姫のように清らかで愛らしい笑顔の持ち主。目をつむれば、いつでもぼくに微笑んでくれる。お客様の話によれば、彼女は恐るべき変貌を遂げたのだという。年をとったせいか、ぼくも少し利口になった。引いてはいけない引き出しがあるように、開けないほうがいい窓がある。
女の子みたいなボク
シャンプーをしているときが、一番ボクらしい気がする。