今年最後の満月
500円ステーキを冷蔵庫の常備に追加
夕食は500円ステーキだった。500円だけどワラジのようにでかい。「よく火を通して食べてください」みたいな注意書きがあるのでウェルダンで焼く。わが家ではニンニクをたっぷり入れ、塩と胡椒で味付けする。ちょっと硬いので噛む回数が増えるが、今のところ歯が丈夫なので、この硬さを余裕で楽しんでいる。
火の玉との遭遇
6時20分、いつものように出勤。道路に出たとたん、東の空に火の玉が。たまや~!
火球を拡大してみました。
流れ星
風呂から上がり、屋上で夜風にあたっていたら、オリオンの左下を火球が流れた。音が聞こえるんじゃないかと耳を澄ましたけど、なにも聞こえなかった
プレイバックPart2
布団から顔を出し、時計を見ると9時半だった。ヨッパライ某は買い物に出かけ、ぼくは眠い目をこすりながら納戸から電動ノコギリを取り出した。一年以上放置された庭は枯れ木や雑草で廃墟のようになっている。庭に転がっている大きな枯れ枝を手あたり次第拾い上げ、電動ノコで切り刻んでいく。そこにヨッパライ某から電話があった。「何かにぶつけて車のサイドミラーが壊れた」と
ミラーは割れ、カバーも外れて中の機械がむき出し。やれやれ。ディーラーに修理の予約をしたあと、どこかその近辺で昼食にしよう、ってことになった。ディーラーに行く途中にウニ丼の安い店があったのを思い出したので、そこで昼食。ヨッパライ某が「いったい何にぶつけたんだろう」と、ずっと暗い顔をしているので、帰ってドライブレコーダーの映像を見てみよう、ってことになった。ぼくはカラスでもぶつかったんだろう、って言っていたのだが、パソコンでメモリーカードをプレイバックしてみたところ、電柱にぶつけていたことが判明した。
ちかれたび~
一年ぶり~♪
排気モーターのベアリング交換
というわけで大掃除を開始した
しあわせについて考えてみるのだった
10年以上前、「なぜ最近ハッピーということばかり考えるんですか」という質問に矢沢永吉さんは次のように答えていた。
あのね、40くらいになったら、「自分ってどういうやつなんだ?」って考えるじゃないですか。僕はね、なんでこんなにがんばって走ってこられたのかと思ったの。それはね、なにか一つ掴んでカタチにしたら、すべてが解決できると思ったから。僕はずーっとどこか寂しかったんだけど、その寂しさも、成功したりお金持ちになったら、全部クリアできると思ってた。みんなが振り向いてくれるこの位置にまでいけたら、不安な部分も全部クリアになると思ってた。ところが、ちっともクリアにならなかった。飯が食えるようになって、いい車転がして、俗にいう表面的な成功というのは、27で手に入れましたよ。だけど、ちっともハッピーじゃないの。なんで? 神様、僕に言ったじゃない、成功手に入れたら、今までの不安なこともクリアにしてくれるって。「なんで?」って思ったとき、「気持ちがいい」とか「ハッピー」というのは、別のレールがもう一個あって、それは仕事で手に入れたり、成功で手に入れるものではないんだ、ということに気づいたんですよね。そのときからです、「幸せって何だろう?」って真剣に考え始めたのは。
いまさらだけど、ぼくもよく考えるようになりました。しあわせって何だろう、って。矢沢さんは「それは仕事で手に入れたり、成功で手に入れるものではないんだ」って言ってますが、イスラエルで栄華を極めたソロモン王も全く同じことを言ってます。ソロモン王は一つの結論を得るのですが、それはわかる人にしかわからない究極の答えでした。













