
金曜日は、あの男がやってくる。
先週の金曜日にもやって来た。
先々週の金曜日にもやって来た。
先々々週の金曜日にもやって来た。
中略
そう、彼は永遠にやってくる。ような気がする。
ぼくは彼のことを金曜日の男、と呼んでいる。
そんな風に呼ぶと、どこか翳のあるハードボイルドタッチな男を思い浮かべるかもしれないが、それは大間違いだ。ところでぼくは豆腐鍋が好きだ。豆腐鍋が好きな人間に悪者はいないという。そこで、先週彼が来たとき、豆乳鍋の材料、豆乳を注文した。そういうわけで、今夜は豆乳鍋なのであった。うまい。実にうまい。死ぬほどうまい。ような気がする。今朝しぼり立ての豆乳で作った豆乳鍋は、いわゆるひとつの高級料理店で注文すると6000円ぐらいしそうな味なのだった。ぼくは思った。やはり彼はただものではない。金曜日の男。
金曜日の男で思い出したが、当店には、仕事男、という、一見、ハードボイルド風の男も顔を出す。明日から「ねんりんピック」が始まるが、この入賞メダルをデザインしたのは彼である。彼もただものではないのかもしれない。ぼくは彼をこう呼んでいる。仕事しすぎ男。
カッコイイはずのオレ

ヒマだったので、店の外に出て、となりの庭に生えている花の写真を撮っていた。すると、遠くから若い女性が歩いて来るのが見えた。ぼくは花の写真を撮るふりをしながら、横目で彼女を見ていた。彼女は、ぼくをチラチラ見ながら通り過ぎて行った。数年前だったら、ぼくはこう思っただろう。
「ふっ、カメラを構えているオレって、そんなにカッコイイのかな」
だが、今はそうは思わない。あれは去年の夏だった。
ぼくは、となりの庭に生えている花の写真を撮っていた。すると、通りがかった近所の主婦がこう言った。
「あんた、怪しいよ」
いつの間にか、カッコイイはずのオレは、カメラを持った怪しいオジサンになってしまっていたのだ。ちなみに今は素直に怪しいオジサンを自認している。
99.9%は仮説、再び

数日前にも書いたけど、インテリジェント・デザイン、という考え方が、おもしろくて、かなりハマっている。ヒマがあれば、ネットでインテリジェント・デザイン関係の記事、意見を読んでいる。いやー、おもしろい。何がおもしろいかというと、日本のweb上では、おそらく99%以上のインテリ?が、その考えを激しく否定し、「こんなもん、非科学的で話にならんわ」と叫んでいるのです。インテリジェント・デザインを認める発言をしている人って、チョー少数派なんですね、少なくともweb上では。ところで、ネットでインテリジェント・デザイン関係の記事を検索すると、以前、このブログでも取り上げた、竹内薫(著)「99.9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方」での発言が、インテリジェント・デザイン反対派の間で槍玉に挙がっているんです。いわく、「竹内薫の作品は好きだけど、あの発言はいただけないな」みたいな。で、竹内さんがどんなことを言っているかというと、「…私の持論なのですが、この知的設計説という「大仮説」はまんざらバカにできないものだと思っています…」「…生命の起源については、まだまったくわからないことだらけなんです。だとしたら、「なんらかの知的生命体が生命の種をまいた」みたいな話は、グレーゾーンの仮説としては、ありだと思うんですよ。そしてそれは学校で教えるべきだと思うんですよね…」
なるほど。
ぼくは、この彼の発言を全然おぼえてなかったんですが、今読み直してみても、彼は真っ当なことを言っているとしか思えません。でも、今この記事を読んでいる、ほとんどの方には、かなりの違和感が生じているのかもしれない。となると、ぼくの感性は、まともじゃないってことになるのかも。そこで、二年半前に書いた、この本の感想を再び読み返してみたんですが、ここで二度ビックリ。ぼくは彼の感性に共感してるんですね、それも激しく。やっぱりなー、って感じで、なんとなくうれしい、今日の午後でした。
ところで、著者はどうして「すべては仮説」あるいは、「100%仮説」にしなかったんだろう。この著書でも言っているけど、
「科学はすべて近似にすぎない」リチャード・ファインマン なのに。
もしかすると、著者はこう言いたかったのかな?
「100%が仮説とは限らない」
ハリボテと、その影のつぶやき
この世界を疑ってみる?

「生命ってなんですか?」
ぼくは担任の先生に聞いてみた。中学1年の時の話だ。
その時の担任は理科の先生だったが、大変困った様子で、何か言いかけて口ごもり、こう答えた。
「図書館に行って、自分で調べなさい」
今思えば、そう答えるしかなかったのかもしれない。よくあることだが、簡単に見えるものほど複雑で、奥が深い。世界は不思議だ。ぼくにはさっぱり分からない。たとえば、イモムシが蝶になって飛んでいく。そんな当たり前のことが、ぼくには絶対に納得できない。でも、目の前でそれは現実に起こる。ぼくは気が狂いそうになる。そんなことでいちいち騒ぐぼくを見て、妻をはじめ、周囲の人はあきれる。でもしょうがない。この自然世界は、納得のいかないことであふれている。「あなたって、どうしてそんなに疑い深いの?疲れるでしょう」時々ぼくはそういわれる。でも、納得のいかないことをそのまま肯定したら、ぼくはぼくでなくなるような気がする。20代前半、ぼくはある人生上の問題で、聖書を読まされることになった。わが家には仏壇があったので、おそらくぼくは仏教徒なのかもしれなかったが、ぼくはそのころ、神も仏も妄想だと考え、バカにしていた。宗教なんて、心の弱い人が頼る薬のようなものなんだと。ぼくはヤレヤレと思いつつ、聖書をめくった。すると、まず、こう書いてあった。
「初めに、神が天と地を創造した」
驚いたことに、ぼくはそれを否定できなかった。変だとも思わなかった。もしそうなら、この世界は、ぼくの納得のいくものになる。数日前、このブログに時々遊びにいらっしゃるOTOさんに、進化について質問された。そのスレッドで、進化に関する本を紹介したからだと思う。ぼくは思うがままに答えたのだけど、後でちょっと気になり、一昨日から、ネット上で進化論について調べ始めた。すると、興味深いページが見つかった。それは、「インテリジェント・デザイン、最新情報」というページ。とてもおもしろい。インテリジェントデザインの存在自体は知っていたのだけど、ぼくの勝手な思い込みで、これも多数ある宗教の一派だろうと思っていた。でも、読み始めて驚いた。それが、ぼくの世界観と、ほとんど同じだったからだ。ぼくは、妻を初め、ぼくの周囲の人にずっと、進化論のおかしさを訴え続けていたが、おそらく感性が違うのと、ぼくの説明のヘタクソさのせいで、どうしてもうまく伝わらなかった。(今でもそうだけど)。まだ出合ったばかりのインテリジェント・デザインだけど、これから勉強することで、もしかすると、ぼくの世界観について、少しはましな説明ができるようになるかもしれない。そんな予感がある。当然、失望の可能性もあるけれど。そういうわけで、記念日的に、ここに書いておく次第です。
秋の夜長、この世界を疑ってみるのも一興かと思うのですが、いかがでしょう。ついでに、進化論を否定することが、何を意味するかも。
微熱少年の昼休み
メリーゴーラウンド
妖しい夜
十五点八夜
知ることはできないけれど

オジサンは暗い夜道をトボトボ歩いていた。
生きていくのって、どうして、こんなにめんどうなんだろう。
思いつめた表情でオジサンは夜空を見上げた。
オジサンは、少し驚いた。
そこには恐ろしい数の星が瞬いていた。
星は、音もなくそんな彼を見下ろしている。
オジサンは、圧倒され、その場に立ちすくんだ。そして思った。
オレって、なんてちっぽけなんだ。
すると、どこからか、今までにない力が湧いてくるのを感じた。
それは思いがけない、不思議なことだった。
ぼくも時々夜空を見上げるんですが、不思議なくらい、勇気づけられます。
それは、自分が、限りなく0に近い存在であることに気づくからかもしれない。
ぼくは最近、つくづく思います。
人は、ほとんど、なにも知りえないまま、人としての人生を終わるのだな、って。
でも、感じることならできるし、うまくいけば、すべてになりうる。
世界は思ったより複雑だ。分けられないものは分からない。
分からないものを感じる。それはたとえば星空を見上げるようなこと。するとタマシイの本性が目を覚ます。果たして科学は、人から畏怖の念を失わせたのか。ぼくの場合はそうではないけれど。
「迷惑な進化」という本を読んでて思ったのは、分からないもの(つまり、分けられないもの)を感じる感性の必要とその重要性。人が知りうることって、限りなく0に近いんだな、ってこと。ブツブツ…






