知ることはできないけれど

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オジサンは暗い夜道をトボトボ歩いていた。
生きていくのって、どうして、こんなにめんどうなんだろう。
思いつめた表情でオジサンは夜空を見上げた。
オジサンは、少し驚いた。
そこには恐ろしい数の星が瞬いていた。
星は、音もなくそんな彼を見下ろしている。
オジサンは、圧倒され、その場に立ちすくんだ。そして思った。
オレって、なんてちっぽけなんだ。
すると、どこからか、今までにない力が湧いてくるのを感じた。
それは思いがけない、不思議なことだった。
ぼくも時々夜空を見上げるんですが、不思議なくらい、勇気づけられます。
それは、自分が、限りなく0に近い存在であることに気づくからかもしれない。
ぼくは最近、つくづく思います。
人は、ほとんど、なにも知りえないまま、人としての人生を終わるのだな、って。
でも、感じることならできるし、うまくいけば、すべてになりうる。
世界は思ったより複雑だ。分けられないものは分からない。
分からないものを感じる。それはたとえば星空を見上げるようなこと。するとタマシイの本性が目を覚ます。果たして科学は、人から畏怖の念を失わせたのか。ぼくの場合はそうではないけれど。
「迷惑な進化」という本を読んでて思ったのは、分からないもの(つまり、分けられないもの)を感じる感性の必要とその重要性。人が知りうることって、限りなく0に近いんだな、ってこと。ブツブツ…

目にキラ星

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昼すぎ、駐車場の脇で本を読んでたら、秋風にのって、チョウがヒラヒラ飛んできた。近くの木に止まったので、さっそく写真に撮った。羽根を広げると、その異様なメンタマ模様に目が留まる。よく見ると、その目玉には、ご丁寧にキャッチライトまで入っている。写真に詳しい人なら知っていると思うが、人物の顔写真を撮るとき、キャッチライトを入れないと精彩に欠けた表情になる。このメンタマ模様、いわゆる擬態なのだろうか。捕食者は、このリアルなメンタマにびびって怯むのだろうか。そうだとしたら、ぼくはもう呆れるしかない。キャッチライト入りのメンタマ。笑える。これはジョークの世界だ。ちなみに、タテハモドキというチョウです。
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羽根を閉じると、枯葉そっくり。

23:10

ぼくは、今、とても眠い。
風呂に入るのも、億劫だ。
歯を磨くのもめんどくさい。
でも、ビールは飲みたい。
それでは、今からぼくは、
1,風呂に入ります。頭は2回洗います。
2,歯を磨きます。
3,ビール(YEBISU)を飲みます。
4,ねる。

意外と

夕方、地方に住む友人から電話があった。
「この前みたいに、コーヒーを五千円分、適当に準備しておいてくれ、明日取りにくるから。意外と好評でね」
この友人自身はコーヒーを嗜まないのだが、彼の近くに住む知人がコーヒー通で、「友人がコーヒー屋をしている」と話したら俄然、興味を示し、そのコーヒーを買ってくるよう、彼に依頼したのだった。そのコーヒーが「意外」にも好評で、今回、再び注文が来たというわけ。
そう、当店のコーヒーは「意外」と好評なんですね。

遠いところ

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遠いところって、どんなところだろう。
ぼくは星の王子さまを読んで砂漠に憧れた。
月の砂漠を歩いてみたい。
でも、今は、違う。
もっと、ずっと遠いところに行きたい。
蜃気楼の向こうの、ずっとずっと先のほう。
なんでだろう。そこに何かがあるような気がするから。
なにかが、ぼくを待っているような気がする。

空き地

家の前に空き地がある。その少し先は崖だ。崖の向こうには遠く街が広がり、その背後は海。ぼくは今まで屋上でビールを飲んでいた。目の前は空き地。でも、夜だから真っ暗だ。その遠くで街の明りが瞬き、その向こうには停泊中の船の明りが見える。ぼくは空になったビールの缶を、空き地に放り投げようとした。そしてそれを思いとどまり、部屋に引き返した。ぼくはいつもこれを繰り返している。