ぼくとの出会い
ぼくは枯れた花の写真を撮ったことがない。何日か前、ぼくは、そううつだものさんのブログを見て不思議な感動を体験した。正確に言うと、感動している自分に気づいて、びっくりした。ぼくはその時、知らないぼくに出会ったのだ。そこには枯れたバラの写真が数枚あった。
昼過ぎ、某F少年から、あの本を借りた。そして
ぼくは、ぼくの知らないぼくに出会えるだろうか。
スキャット
月が出ている。
ひとりで月を見ていると、夜の静寂からあの声が聞こえてくる。
開花宣言
南日本放送のニュースによると、本日、アジサイの開花宣言があったのだそうです。以下、引用
鹿児島地方気象台にあるアジサイの標本が開花しました。外から見える色づいた部分は「がく」にあたり、「花」ではないそうです。本当の花は「真花」といい、直径は7ミリほどだそうです。
写真は駐車場のあじさい
ぶどう
渚にて
朝はゾンビ
夏のスイッチ
毎年今頃になるとスイカが届く。
今年も一週間前に送られてきた。
だけど、スイカの入った箱は未開封のまま。
ぼくの中の夏のスイッチがONにならないせい。
スイカは大好物だ。
でも、夏のスイッチが入らないと食べられない。
ヒッチコックな朝
11時を少し過ぎたころだった。ぼくは午前中に発送しなくてはならないコーヒーを大急ぎで袋に詰めていた。その時電話が鳴った。「はい、○○コーヒー店です」ぼくはいつものように名乗った。だが、なぜか相手はなにも言わず、ずっと押し黙ったままだ。「もしもし、もしもし」ぼくは繰り返した。と、電話は唐突に切れた。たまにこういう電話がかかってくる。ケータイからかかって来た電話に多く、電波の具合でそうなるらしい。ぼくはカウンターに戻ってコーヒーの袋詰めを再開した。するとまた電話がかかってきた。「はい、○○コーヒー店です」だが、相手は何も言わない。さっきと同じだ。耳を澄ますと、電話の向こうで何か息遣いのような音が聞こえる。「もしもし、もしもし」ぼくは繰り返した。しかし、さっきと同様、電話は無言のまま切れた。よほど電波の状態が悪いんだろう。ぼくはそう思ってカウンターに戻った。するとまた電話が鳴り出した。「はい、○○コーヒー店です」 ……。相手は何も言わない。「もしもし、もしもし」しかし、5秒ほどたつと、やはり電話は切れた。妙だな。ぼくは思った。もしFAXなら、あの特有の信号音が聞こえるはずだ。ぼくはカウンターに戻って再び作業を開始した。また電話が鳴り出した。ぼくは怖くなった。まさか、これがあの、いわゆる「無言電話」なのだろうか。ぼくは電話に出た。「はい、○○コーヒー店です」しかし、相手は無言のままだ。耳を澄ますと、受話器の向こうで、何か奇妙な音楽が流れているような気配がある。「もしもし、もしもし」ぼくは繰り返した。数秒後、電話は切れた。ぼくは気味が悪くなって、NTTの113番に問い合わせた。故障かもしれないと思ったからだ。「さっきから無言の電話がかかってくるんですが、調べてもらえないでしょうか。できたら、かけてくる相手が誰かも」すると係りの男の人は申し訳なさそうに、「故障は調べられるのですが、相手が誰かというのは調べられないんです」と言った。じゃあよろしく、と言って電話を切った。ぼくはカウンターに戻って袋にコーヒーを詰め始めた。だれだろう。ぼくに恨みを持つものの仕業だろうか。単なる嫌がらせ? こういうことをする可能性のある人物を特定すべく、ぼくの頭はめまぐるしく回転し始めた。やがて電話が鳴り出した。
つづく
写真は庭のアジサイ
自分が好きなものだけはわかる
白洲正子“ほんもの”の生活、という本の中で、正子さんは「目利きとはどんな人のことですか」という問いにたいして、こんなことを言っている。「一つ言っておくと、自分が目利きかどうかなど、私には関係ないことです。ただ、自分が好きなものだけはわかる。それも頑としてわかる。それだけは確かね」
これ、スティーブジョブズが言っている、好きを貫く、と同じですよね。ぼくも言ってみたいな。自分が好きなものだけはわかる。それも頑としてわかる、って。
このブログにもタマに書き込みをされる a さんがその本を読んでいるところ