中古パソコンをポチったのだ

Windows10のサポートが10月で切れるというんで、そろそろ新しいパソコンを検討しなきゃ、てな気分でネットを物色してたら、ちょっと気になるデスクトップパソコンが目に留まった。仕事場ではノートを使っているけど、自宅はデスクトップ。スペックは以下の通り。
CPU i7 8700 3.2GHz
SSD 512GB
HDD 500GB
メモリ 16GB
Windows11 Pro
MS Office2019
で、価格は¥34,960
安いな~と思ってよく見たら、最後の方に「中古」と書いてあった。SSDは新品とのこと。
中古パソコンを買ったことがないのでよく分からないのだけど、MS Officeが付いてこの価格なら安いような気がしたので思わずポチった。

夕食後、届いたパソコンにキーボードとマウスを取り付け、スイッチオン。セットアップ済みなので面倒な作業はない、うふ♪

ネットにつなぎ、HDDを調べるソフトを入れて使用時間を見ると・・・まあ、こんなもんでしょうな、かも

起動ドライブは新設された512GBのSSD

保証期間6か月とのことで、無事6か月を過ぎたらHDDを換装しようかな

40

先月40になったそうです。
そうですか。
40になった時、何を考えていたか思い出せませんが、
ぼくは43の時に会社員をやめて今の仕事を始めました

金曜の男たち

ポスターを貼りに来た仕事男。二科展は3月2日から。
※某珈琲店で前売り券発売中!

墓場のコダクローム少年。
Kodachrome64というプリセットで現像してみました

余の尊敬する人物

矢内原忠雄のエッセイ「読書と著書」を読んでたら、先日読んだ森本あんり(著)「不寛容論: アメリカが生んだ「共存」の哲学」で取り上げられているロジャー・ウィリアムズが頭に浮かんだ。なぜなら忠雄さんのいう尊敬に値する人物の条件のひとつに「欠点ある人物」でなければならない、とあり、まさにロジャー・ウィリアムズがそれに合致する異形の人物だったから。いわく「真理を愛する余り、自己の人間的欠点の自然に流露するを顧慮せざる人物は、必ず真理の感覚が鋭敏であり、真理についての天才的性格の所有者である」
以下、矢内原忠雄「読書と著書」から抜粋


『余の尊敬する人物』はエレミヤ・日蓮・リンコーン・新渡戸博士の四人を含んで居る。初の二人は預言者型の人物であり、後の二人は善き意味の常識家型の人物である。而して私の尊敬する点として、この四人に共通する性格は次の四つである。
(一)真理を愛したこと。
(二)誠実であったこと。
(三)平民的であったこと。
(四)欠点ある人物であったこと。
この最後の点については少しく説明を要するであろう。私は欠点のなき人物、若しくは欠点なき人物となることを理想とする如き人物を、尊敬する気になれない。そのような人物は、第一おもしろくない。又親しめない。加之しかのみならず、大体偽善者であると思って間違ないのである。欠点のある人間、若しくは欠点をつつまずに出す人間は、少くとも正直である。もちろん自己の欠点を誇り、故意に之を人に示すのは鼻持ならぬ傲慢であるが、真理を愛する余り、自己の人間的欠点の自然に流露するを顧慮せざる人物は、必ず真理の感覚が鋭敏であり、真理についての天才的性格の所有者である。之に反し人間の有つすべての性情・欲望をひとしく円満に発達させ、その均衡の上に人格の完成を計ることを目的と為す如き人生観に、私は共鳴しない。之は功利主義であって、妥協と偽善、打算と物慾の発生地である。利益よりも真理を重んじ、真理の為めに戦う真実の性格は、真理以外に自己の一切の内的・外的装飾を不用と為すところの平民的人物であり、又欠点あることを恐れざる直線的人物でなければならない。


ところで、日本で生まれ育ったぼくにとって、アメリカという国は何とも変わった国だと思えてたのだけど、森本あんり(著)「反知性主義」とこの「不寛容論」を読んで、そうか、なるほどと合点がいき、スッキリした。同時に、アメリカから見れば日本こそが変な国なのだろうとも考えさせられた。
アメリカを手っ取り早く理解したいと思うならロジャー・ウィリアムズの活躍?とその背景を眺めればかなり理解できるんじゃないかと思う。

以下、森本あんり(著)「不寛容論」エピローグ 内心の不寛容より

17世紀のアメリカに生きたロジャー・ウィリアムズは、信教の自由や政教分離という歴史的分野における功績から考えれば、明らかに傑出した人物だろう。だが、個人的に彼と友だちになりたいと思う人は、どれくらいいるだろうか。彼は、歴史的偉業を成し遂げた先駆者だが、人物としてはかなり異形である。たぶんそういう人でなければ、正統性の重力を振り切って新たな実験に挑戦することもできなかっただろう。彼の極端な思想や行動は、周囲の者には頭痛の種だったが、彼自身もしばしばその犠牲となって苦しんだ面がある。

もっと光を その2

仕事の合間にある本を読んでいる。ある本の、ある個所を繰り返し読んでいる。その本にはフランスのユダヤ人哲学者、レヴィナスが語ったことが分かりやすく書かれているのだけど、ぼくのノーミソの性能が低いせいでその論が消化できず、なかなか自分に同化してくれない。そこに書かれていることが自分のものになれば、その瞬間、部屋が明るくなり、空も明るくなるという、ぼくのような暗い人間にとって喜ばしい変化が起きるという確信があるのだけど。

ゲーテは「私はカントを1ページ読むと、まるで明るい部屋に入った感じがするのだよ」とショーペンハウアーに語ったそうですが、これはほんとにウマイ比喩だな、と思うわけです。ぼくも何度かそういう経験をしたことがありますから。いや、ほんとに明るくなるんですね、世界が。
という話とは関係ないのですが、先ほど、なんだかおもしろそうな題名だな~と思ってポチった本が届きました。

スイッチが壊れた

コーヒーミルのスイッチが壊れた。数日前、スイッチをON OFFする際、なんだかいやな感触があったので、もしやと思ってスイッチを注文した。ただし同じものは既に生産終了となっており、代替品も無い、とのことで、それに近いものを注文。予想通り注文直後にスイッチは壊れ、ミルは沈黙。あわてて電源コードとモーターを直結し、コンセントにプラグを抜き差しすることで電源をON OFF、急場をしのいだ。

届いたスイッチは定格などに問題はないのだが、サイズが一回り小さく、スイッチプレートに取り付けられない。というわけでプリント合板で自作したプレートにはめ込み、ミルに取り付けた。格好が悪くなるんじゃないかと心配したが、それほどでもなくてホッとした。

湯気 その2

と、いうわけで、昨晩に引き続き、今夜も鍋なのだった。
これ、ナニ?
と、聞くと、トマトナベ!とのことであった。
中に横たわってる白いものは、チーズ!といいたいが、粉チーズをまぶした豆腐なのだった。
おそるおそる食べてみたところ、とてもおいしかったですがよ。