何かが起きそうな感じがすることがある。
ぼくの場合、夕方の6時ころにそう感じることが多い。
時計を見ながら、6時を過ぎるのを待つ。
何も起きない。
今日も何も起きなかった。
休日に仕事をすることもある
今日は定休日。でも、朝から雨だった。そこで数年前から「来週こそは休日返上でやるぞ!」と、毎回決心しつつ先送りし続けていた、あの作業を、本日ついに決行することにした。
キチョーな休みがつぶれてしまったけど、なんだかスッキリした。というわけで、休日返上作業を一つ終えたわけだが、しなくてはならない作業はまだいくつもある。たとえば、
■トイレの壁の割れたタイル交換→ぼくでも交換可能なので、今年中にはナントカしたい。(だれかタダでやってくれないだろうか)
■テントの穴の修理→ぼくには無理。業者に見積もってもらったら数千円でできるとのことだったが、テントを巻き上げることができなくなるというので、もう少し破れた時点で全部張り替える予定。
(だれかタダでやってくれないだろうか)
う~ん、探しだすとイロイロ出てくるな。
ベランダのバジルも、そろそろ終わり。
星の花
あいつは今日も元気だった
タマギレ
疲れているのかな
夜、店を閉め、帰宅するために車を走らせた。闇の中を走っていると、ふいに甘い香水の匂いがし始めた。外からだろうと思ったが、どうもおかしい。窓を開けているからすぐに消えるはずなのに、すぐ近くで匂いつづけている。奇妙なのは、その匂いに現実味が無いことだった。でも、確かに匂っている。車が自宅につくころ、匂いはしなくなった。ところが、階段を上り、寝室に入った時に、また同じ匂いがした。だれかそばにいるような気がして、思わず辺りを見回したが、もちろん、だれもいない。そのとき匂いは消え、二度と匂わなかった。これは幻覚の一種なのだろうか。
感性の違い
記憶の波間に浮かぶブイ
昨夜は、数年前に撮影したはずの写真をずっと探していた。約50枚のDVDに保存してある数多の中から探し出そうとしたのだけど、結局見つけだせなかった。でも、写真を見るたびに過去の記憶が鮮やかによみがえり、時間を忘れるほど楽しいひとときを過ごすことができた。撮影した写真は、ブレていようが、露出が狂って真っ黒になっていようが、消去することなく全て保存している。それは、作品としての出来不出来以上の有用性を写真に見出しているからだ。写真を無意識に撮ることは無い。意識を集中してシャッターを押す。シャッターを押すことは、自分の意識とその場をリンクさせる特殊な行為だと思う。だから、写真は記憶のタイムスタンプとして後日機能させることが可能だ。数日前、ぼくは古いアルバムを広げ、6歳だった頃の写真を見た。ぼくはその時のことをよく憶えている。そこから、いくつかの記憶を幾重にも畳み込まれた紙を広げるように展開させることができた。カメラをぼくに向けている母の顔も、おぼろに浮かんだ。憶えている理由ははっきりしている。その時ぼくが母のカメラに強い興味をいだいていたからだ。写真を撮る行為と記憶の関係。実に興味深い。
上の写真は、以前ブログに載せたもの。その時は、この写真が好きだった。下の写真は、昨夜、写真を探していてたまたま目に触れた、同じ時、同じ場所を別アングルで撮ったもの。今見ると、こちらのほうが良く感じる。写真を眺めていると、あの時の風の冷たさ、そして虫の声が聞こえてくる。
rawコンデジ、ぽっちい その2
夢のつづき
一年以上前に見た夢の続きを見てしまった。ぼくはある組織に属している。ぼくは対立する組織のメンバーを捕らえ、ロープでぐるぐる巻きにする。そして言う。どうだ、もう逃げられないぞ。そのロープを外せるものなら外してみろ。すると、敵の若い男は難なくロープを外して逃げてしまった。ぼくはその直後に目を覚まし、その夢が何を意味するのか、ひとしきり考えたが、分からなかった。