変身
怖い夢だった。ぼくは夢の中でずっと叫んでいた。何で叫んでいたのかは分からない。ベッドから起き上がって時計を見ると、午前3時を少し回ったところだった。のどがカラカラに渇いている。ぼくはキッチンに下りて冷たい水を何杯か飲んだ。体が冷えて少し落ちついてきた。そのときふと、背中に今までにない奇妙な違和感があるのに気づいた。焼けるような疼き、そこだけ自分の体ではないような感覚。得体の知れないなにかが皮膚を突き破って飛び出そうとしているような。デビルマン。そう、デビルマンだ。今まさに、ぼくの背中には巨大なコウモリの翼が生えようとしている。ああ、まさかこのぼくがデビルマンだったなんて。だが、よく考えてみたら昨日の海水浴で背中が真っ赤に日焼けしていたのだった
防水コンデジデビュー
和菓子の宇宙
虚無の向こうは~晴れなのかしら~
このまえ芥川賞をとった鹿島田真希さんの六〇〇〇度の愛、という本を読んでみた。ほんとは芥川賞作品「冥土めぐり」を読みたかったのだけど1470円もしたので誰かが買うのを待つことにしたのだった。六〇〇〇度はネットの古本屋で200円+送料。読んだ後、帯にある次の言葉を見て、なるほどー、と思った。
「虚無のむこう側に赴こうとする。その大胆な努力を、かくも冷たく静かな筆致のなかで実現させた情熱に私たちは驚嘆すべきであろう。」
虚無のむこう側ってなんでしょうね。実質?それはおそらくこの作品に書かれているサマリアの女のエピソード中の「生ける水」に関わることなのでしょう。それは人の内で泉となり、それを飲んだ人は決して渇かない。ところで、この作者の「虚無のむこう側に赴こうとする。その大胆な努力…」は、あの村上春樹地下冒険家のスタンスに似ているよーな気がしないでもない。村上地下冒険家は地下に降りて、ふつうの人には開けられない扉を開き、暗闇の中をめぐって再び帰ってくる。彼の言う地下とは、物事が人の認識を得て姿を現す以前のなにか、六〇〇〇度の熱で焼き払われた後でも残るもの、とぼくは想像するわけですが、彼の設定する異界は多分に霊的ですね。
以下、村上春樹「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より
人間の存在というのは二階建ての家だと僕は思っているわけです。一階は人がみんなで集まってごはん食べたり、テレビ見たり、話したりするところです。二階は個室や寝室があって、そこに行って一人になって本読んだり、一人で音楽聴いたりする。そして、地下室というのがあって、ここは特別な場所でいろんなものが置いてある。日常的に使うことはないけれど、ときどき入っていって、なんかぼんやりしたりするんだけど、その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんです。それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。ただ何かの拍子にフッと中に入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。それは前近代の人々がフィジカルに味わっていた暗闇…電気がなかったですからね…というものと呼応する暗闇だと僕は思っています。その中に入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです。