今、チャンピオンベルトを腰に巻いてこれを書いている。忘れかけていたあの栄光が再び訪れたのだ。最後にこれを巻いたのはいつだったろう。調べてみると、それは4年前だった。そうか、あれから4年も経ったのか。あの時、もう二度とこれを腰に巻くことは無い、と思ったのだったが
好きな人にはたまらない味ですね!
「できる大人のモノの言い方大全」という本が売れているんだそうで。
角が立つ言葉を丸く言い換えよう、という試みですね。
たとえば「不味い」は「好きな人にはたまらない」といった具合。
以下、
「優柔不断」→「思慮深い」
「気が小さい」→「謙虚」
「要領が悪い」→「マイペース、正直すぎる方」
「うまく立ち回る人」→「周囲がよく見えている人」
「平凡」→「手堅い、なかなか」
「せっかち」→「頭の回転が速い」
「遠慮がない」→「堂々としている」
「強引」→「リーダーシップがある」
「無礼な人」→「物怖じしない人」
「行き当たりばったり」→「臨機応変」
「耳を貸さない」→「信念が強い」
「貸したお金」→「立て替えたお金」
「わけがわからない」→「抽象的、芸術的」
「流行遅れ」→「時代に流されない」
「友達がいない」→「自立している」
WEB本の雑誌より
時代に流されない人ね、と言われて喜ぶのはやめとこーっと
役に立たない能力2
ぼくには役に立たない不思議な能力がある。たとえば、初めて会った人と話していて、ふいに、何の脈絡も無く、ああ、ぼくはこの人の誕生日を知っている、と思う。誕生日を知りたいわけでもないのに、どうしてそんなどうでもいいことが頭に浮かぶのか、さっぱりわからない。ためしに誕生日を聞いてみると、まさにその通りである。もちろん相手は驚く。訳もなく頭に浮かぶんですよ、などと言っても、なかなか信じてもらえない。今日もそんなことがあったが、やはり何の役にも立たなかった
Dream
東の空その2
水平線
わかんない
クロスオーバー5時半
いつかはペリカン
思いつくままノートに書くようになって早2週間。この習慣化は久々のヒットであった。驚いたのはパソコン慣れで書けなくなった漢字が次第に書けるようになってきたこと。忘れた漢字を頭で思い出して書こうとしても出てこない。でも、ノートに書いていると手が覚えているらしく、いつのまにか書けるようになる。ボールペンではなく、万年筆を選んだのも良かったようだ。オーディオマニアならわかると思うけど、むかし、レコードをかけるのは儀式のようなものであった。レコード盤をそっとジャケットから取り出し、厳かにターンテーブルに載せ、心を鎮めて針を降ろす。CDやiPodを神妙な顔をして操作する人はまずいない。あれは家電のリモコンと変わらない。というわけで、万年筆を使うことで、書くという作業を趣味の領域に近づけようと試みているのであった。なんちゃって。ちなみに今日書いたノートから拾ってみると、ドストエフスキーはかつて「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」と言った。などと書いてある。ノートと万年筆だと臆面もなくこんな事を書いてしまうから怖い。なんだか青春しているみたいだ。ちなみに、フランクルの夜と霧からの抜粋