熱いトマト
不思議の星
月夜のサソリ
ひと夏の物語
グレートギャツビー、物語としては特に目を瞠るものはなかったけれど、文体が秀でて詩的でロマンチック。ひねった比喩が多く、それがたまらなくいいのだけど、婉曲な表現が嫌いな人には読みづらいかも。語り手のニックは30歳にしては達観を得ているというか、どこか妙に醒めていて爺くさいといえば爺くさい。良い酒を味わったような、独特な読後感があって、満足度は高かった。
ハイヌーン
ぼくと僕
なぜかグレートギャツビーを読みたくなって、どうせなら村上春樹が訳したのを読もうと思い、熱帯雨林で調べると「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」となっていた。本音をいえば、字の大きさを自由に変えられる電子書籍で読みたかったのだけど、今のところ村上春樹の作品は電子化されそうにない。というわけで、野崎孝という人の訳した電子版をダウンロード。家に帰れば、この人訳の文庫本が息子の本棚にあったはずなのだが…専用のブックリーダーで読みつけると、ちょっと元には戻れない。
この作品は一人称「ぼく」で始まる。これが村上春樹訳なら、おそらく「僕」となる。「僕」と「ぼく」では、印象がずいぶん異なる。いうまでもなく、ぼくは「ぼく」がいい。なぜかしっくりくる。そんなわけで、この本は野崎孝訳でよかった、と、今は思う。まだ読み始めたばかりだから結論を出すには早いけど。ぼくがブログなどで「ぼく」を使うようになったのは、あるSFを読んでから。それはハインラインの書いた「夏への扉」
かくいうぼくも夏への扉を探していた。冬は、ぼくの心の中にあったのだ。
青空一人きり
ネコに水やり
夜、家に帰ってベランダに出ると、強い日差しのせいで、プランターのバジルがしおれていた。水をやるべく、洗面器にたっぷり水を入れ、プランターに向かう。早速ネコがやってきて、うるさく足にまとわりつき、危うく転びそうになる。くそ! ぼくの手には水を湛えた洗面器。ぼくはある誘惑を抑えられなくなる。