家族はもう寝てしまった。ぼくもフロに入って寝ることにした。フロにはいり、髪を洗おうとイスに腰掛けると、にわかに知らない男の匂いがプンと漂い、ギョッとした。そうか、息子のヤツか。それにしても何を勘違いしているのだろう、昭和オヤジみたいな匂いの整髪料を使いやがって。今時こんな渋いのを使っているのは床屋くらいのもんだぜ。と、そこで気づいた。今朝ぼくは床屋に行ったのだ。
下を向いて歩こう
昼過ぎ、駐車場に出て、数日前から咲きはじめたハナモモの写真を撮っていると、ちょうどやってきた数人のお客さんが、なにを撮ってるんですか、と聞いてきた。あれです、と、顔を上に向けると、お客さんも顔を上げ、おおー、と歓声をあげた。そして、上のほうに咲いていると気づかないですね、と口々に言った。よく思うのだけど、高いところを見ている人は意外と少ない。変わった雲や、おもしろい気象現象にぼくはよく気づくのだけど、不思議なくらい、だれも気づかない。昨日、川の土手を歩いていたら、ツクシが生えているよ、とヨッパライ某がいうので、下を向いてさがすのだけど、なかなか見つけられない。いつもそう。ぼくは足元をあまり見ていない。それで穴に落ちたり、変なものを踏んだりする
文字の余韻
いい本を読むと若くなるよーな気がする
上を向いて歩いたら
沈むオリオン
恐ろしい言葉
逆説の発見
クラゲ美女からお借りした福岡伸一ハカセの「生命と記憶のパラドクス」という本を読んでたら、こんな記事が目に留まった。
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最近、とても面白い本を見つけた。『キミは珍獣と暮らせるか?』(飴屋法水 文春文庫PLUS)。著者は元ペットショップオーナーで、珍しいペットを求める人に厳しくその覚悟を説いている。珍獣を、「駄獣」(つまらない。例えばミミズ)、「難獣」(飼育が難しい。例えばモグラ)、「弱獣」(すぐ死ぬ。例えばヒヨケザル)、「猛獣」(文字通り凶暴。例えばヤマネコ)、「臭獣」(クサい。例えばヤマアラシ)に分類する。内容は類まれなる生命論にもなっている。生き物に値段をつけ、自分の所有物とする。それは自然物を人工物として扱うこと。だから本来、不可能な行為、さらにいえば狂った行為であると。しかしそこからしか発掘できないものがある。それが生き物を飼うことの意味だと。生き物を飼うこと。それは見下ろされ、支配され、そしてそのことによって、私の方が支えられているという逆説の発見なのだ。
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筆者は言う。しかしそこからしか発掘できないものがある。それが生き物を飼うことの意味だと。
ぼくはこれを読んで甚く感じ入った。結婚も同じではないか、と
いい時間
幻の日々
最近、寝覚めがよいのです。理由は単純、あるものを買ってもらったから。あるものとはカメラ。7年近く、ほとんど毎日使い続けてきたカメラがついにくたびれ、ぼくのココロを照らしていた太陽もいきおい翳ってしまっていたのです。新しく手に入れたカメラは前のカメラより安かったのですが、性能は驚くほどよくなっていて、ボタンやレバーをあちこちいじっては、新しいオモチャを手にした子どものようにニヤニヤしているのです。ぼくとしてはハッピーな状態なのですが、なぜか勉強のために買った本を読む時間は減り、めんどうな思索に耽ることも少なくなりました。玩物喪志という言葉があります。モノに心を奪われて大切な志を失うこと。まあ、ぼくの場合、すぐに飽きる方ですし、カメラはモノというより、道具、という感覚で使っているので心配は無用だと思うのですが。写真は店の屋上から撮った今日の夕日。幻日という気象現象です。








