ブルー

男たちは自分の中にある永遠の女性像を目の前の女性に投影してそれを追いかける。でもそれは幻だから追っても追っても逃げ水のように遠ざかってしまう。ユングの言うアニマがそれだ。昨日、青空に向かって山道を走ってると、カーオーディオから沢田研二の「コバルトの季節の中で」が流れはじめた。ぼくはとなりの女性にそのイメージを重ねることができる。現実と幻の境界を意識できるから。

「コバルトの季節の中に」の女性と、大瀧詠一の「ペパーミントブルー」の女性は男にとって幻の女性だ。畢竟、人生は幻なのか。フェルナンド・ペソアは次のように書いている。
人生を生きよ。人生によって生きられるな。真理にあっても誤謬にあっても、快楽にあっても倦怠にあっても、本当の自分自身であれ。それは夢みることによってしか到達できない。なぜなら現実生活は、世間の生活は、自分自身に属しているどころか、他人のものであるからだ。だから、人生を夢で置き換え、完璧に夢みることのみに腐心せよ。生まれることから死ぬことに至るまで、現実生活のどんな行為も、本当に行動しているのは自分ではない。動かされているのだ。生きているのではなく、生きられているのだ。

休日の前夜

時計を見ると23:08
あしたは休みだけど、いつまでも起きていると寝坊して貴重な休日が減ってしまう。
さっき、本を注文した。
ガルシアマルケスの「わが悲しき娼婦たちの思い出」。
川端康成の「眠れる美女」に触発されて書かれた小説だそうだ。
おやすみ

家でゴロゴロ

今日は第一火曜日で休日。予報では曇りのち雨とのことだったが、全くそんな気配ナシ。晴れだと分かっていたらドライブに出かけたのに。なんだか損した気分だが、たまには家でのんびりするのもいいか、ってことで、家でゴロゴロ

昼食はアベックラーメンを使った冷やし中華。これを食べると夏が戻ってきた気分になる。今日も暑かったが、あと二週間もしないうちに彼岸花が咲き始める。

SFの夏

店を閉め、車に乗り込み、家路を急いだ。夕食は何だろう、そろそろカレーかな。駐車場に車を止めて玄関に向かう。南東の空に円い月が浮かんでいるのが見えた。しかし、その月はこれまで見た月とはずいぶん違っていた。

月面調査隊が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。すぐさま地球の研究室で綿密な調査が行なわれた結果、驚くべき事実が明らかになった。死体は生物学的には現代人とほとんど同じにもかかわらず、5万年以上も前に死んでいたのだ。

これはジェイムズ・P・ホーガンのSF、「星を継ぐもの」の紹介文。数日前にこの本を読み終えてからというもの、月を見るたびに、あのどこかに5万年以上前に死んだ人間の死体が転がっているんじゃないか、と思うようになってしまった。

あなた、変ったわね。と君は言った

今日の内田樹の研究室の記事「受験についてのインタビュー」の中程の質問への回答が、ぼく的にウフフだったので以下に抜粋


――真の意味で「学ぶ」とはどういうことをいうのでしょうか。
内田 多くの人は、「学ぶ」というのは所有する知識や情報や技術の総量を増やすことだと思っていますが、それは違います。「学ぶ」とは自分自身を刷新してゆくことです。学んだことによって学ぶ前とは別人になることです。学ぶことによって語彙が変わり、感情の深みが変わり、表情も発声もふるまいもすべて変わることです。「コンテンツ(内容物)」が増加することではなく、「コンテナ(入れ物)」そのものの形状や性質が変わることです。
「呉下の阿蒙」という話があります。中国の三国時代の呉にいた呂蒙将軍は勇猛な武人でしたが学問がありませんでした。呉王がそれを惜しんだことに発奮して、呂蒙は学問に励みました。久しぶり会った同僚の魯粛は呂蒙の学識教養の深さに「かつての君とは別人のようだ」と驚きます。すると呂蒙は「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」と応じます。学ぶ人間は三日会わないともう別人になっているので、目を見開いて見なければならない、と。
昔はこのたとえ話をよく学校の先生が語りました。学ぶとは別人になることだという考え方は1960年代くらいまではまだ生き残っていたようです。でも、今の日本の学校でこの話をする教師はまずいません。もう「学びを通じて別人になる」という考えは日本社会では共有されていないからです。人間は変わらないまま知識や情報が増え、技能や資格が身につく。そういう「学び」観が支配的です。

備えあれば憂いなし、なのです

先日、海でカキ氷を食べようと思ってドライブに出かけた。海は死ぬほど暑かったが楽しかった。やっぱり夏はサイコーだぜ、なんていいながら海辺の駐車場を出たとたん、パンクに見舞われた。路地に入って車を止め、トランクを開けて底板を持ち上げると、そこにスペアタイヤはなく、電気ポンプと牛乳みたいなのが入った容器とロケット花火があるだけだった。

ポンプの説明書を広げ、牛乳みたいなのをタイヤに注入したが、穴から牛乳と泡が吹き出て空気圧が上がらない。保険屋に電話して救援を頼んだところ、到着するのに1時間くらいかかるという。そうこうしているうちに、なぜか穴がふさがり、空気圧は2.1kgに達した。ぼくは恐る恐る車を発進させた。

車は約150km走って家に帰りついた。空気圧を測ってみたが、ちっとも減ってなかった。しかし、電気ポンプと牛乳ではなんだか不安に感じたので、熱帯雨林でパンク修理キット、というのをポチった。これはジャッキアップして車輪を取り外さなくてはならないが、確かな修理の手ごたえが得られる。