上を向いて歩いたら

140225_01 春になるといろいろつまらんものが飛びはじめる。何日か前からスギ花粉が飛んでいるらしい。近年になってピーエムとかいう変なものも飛びはじめた。もうしばらくすると黄砂だ。そして次が某火山の灰色の粉。まったくおせっかいなやつらだ。もう下を向いて歩くしかない140225_02上の写真は9時、下のは13時に撮ったもの

恐ろしい言葉

140219_01 昨日に引き続き、福岡伸一さんの「生命と記憶のパラドクス」をテキトーにめくっていると、
「男にとって、女性から発せられる一番恐ろしい言葉は…」
という文句で始まる記事があって、なんだろうと思いつつ読んでいくと、
「○○○○○○○○○○○○」
うっ。血の気が引きました。
これを読んで心臓の具合が悪くなる男性読者もいるだろうと思い、あえて伏字にしました。

逆説の発見

クラゲ美女からお借りした福岡伸一ハカセの「生命と記憶のパラドクス」という本を読んでたら、こんな記事が目に留まった。
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最近、とても面白い本を見つけた。『キミは珍獣と暮らせるか?』(飴屋法水 文春文庫PLUS)。著者は元ペットショップオーナーで、珍しいペットを求める人に厳しくその覚悟を説いている。珍獣を、「駄獣」(つまらない。例えばミミズ)、「難獣」(飼育が難しい。例えばモグラ)、「弱獣」(すぐ死ぬ。例えばヒヨケザル)、「猛獣」(文字通り凶暴。例えばヤマネコ)、「臭獣」(クサい。例えばヤマアラシ)に分類する。内容は類まれなる生命論にもなっている。生き物に値段をつけ、自分の所有物とする。それは自然物を人工物として扱うこと。だから本来、不可能な行為、さらにいえば狂った行為であると。しかしそこからしか発掘できないものがある。それが生き物を飼うことの意味だと。生き物を飼うこと。それは見下ろされ、支配され、そしてそのことによって、私の方が支えられているという逆説の発見なのだ。
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筆者は言う。しかしそこからしか発掘できないものがある。それが生き物を飼うことの意味だと。
ぼくはこれを読んで甚く感じ入った。結婚も同じではないか、と

幻の日々

140216_01 最近、寝覚めがよいのです。理由は単純、あるものを買ってもらったから。あるものとはカメラ。7年近く、ほとんど毎日使い続けてきたカメラがついにくたびれ、ぼくのココロを照らしていた太陽もいきおい翳ってしまっていたのです。新しく手に入れたカメラは前のカメラより安かったのですが、性能は驚くほどよくなっていて、ボタンやレバーをあちこちいじっては、新しいオモチャを手にした子どものようにニヤニヤしているのです。ぼくとしてはハッピーな状態なのですが、なぜか勉強のために買った本を読む時間は減り、めんどうな思索に耽ることも少なくなりました。玩物喪志という言葉があります。モノに心を奪われて大切な志を失うこと。まあ、ぼくの場合、すぐに飽きる方ですし、カメラはモノというより、道具、という感覚で使っているので心配は無用だと思うのですが。
写真は店の屋上から撮った今日の夕日。幻日という気象現象です。

ねこ

140214_02某コーヒー店の展示会で販売している猫。後ろから見るとかわいい140214_03たぶん売れ残ると思う