ふたりでお鍋を

あしたは休みで、今夜はナベだった。ワインを飲みながら、今日店であったおもしろい話を四つしようと思った。第一話は今日最後にいらしたお客さんが
「こんど、いちご狩りに行くんだ、そこ、食べ放題なんだって」
「へえ、どこにあるの?」
「加世田農園」
「加世田にいちご農園ってあったっけ」
「あるわよ、ほら」と言って、スマホを目の前に差し出した。
「志布志って書いてあるじゃん!」
「えーっ!」
第二話は、きれいな女の子が二人やってきて・・・という話だけど長くなるので割愛

E.S.P

今夜はカレーの予感がした。

8時過ぎに帰宅し、カレー気分で玄関を開けたがカレーのにおいはしなかった

家の中の休日

今日は第一火曜日で休み。目覚ましもならない。それでも9時前には自然と目が覚めた。ヨッパライ某はまだ寝ていたので自分でコーヒーをたてた

外は雨が降っている。雨が止んだらカメラを持って出かけようと思ったが、風が出てきて、やがて大粒の雨が窓ガラスをたたき始めた

昼食は道の駅で買ったスナップエンドウなどを入れたスパゲティ。休日に家で食べるのは久しぶり

ふたりでお鍋を

以前、店にちょくちょくきてコーヒーを飲んでいた女の子が久しぶりにやってきた。当時は学生だったが、今はOLとのこと。何か話があるそぶりだったので聞いてみると、当時、家庭教師をしていた学生から切実な相談を受け、どう答えていいかわからず悩んでいるのだという。それは「生きている意味がわからない」みたいなことらしい。なるほど。今度はぼくが悩む番だった。ぼくが同様な悩みにとらわれ、うまく脱出できた経験の持ち主であれば何かヒントになるようなことが言えるのだろうけど。
とりあえずぼくは言った。相手を食事に誘ってみてはどうだろう。一緒に何か食べながら話してみたら。

大切な相手とは一緒に時間をかけて食事をする。ぼくにとっては意味のあるひと時

土曜の午後、人生の午後について考える

冷たい風が吹いていた。春なのに。
お昼の弁当を食べた後、リンドバーグ夫人が書いた「海からの贈物」というエッセイを読んでたら、文中に「人生の午後」という言葉が出てきて、ふと我に返った。
心理学者、ユングの言葉に
「人生の午前の法則を、人生の午後に引きずり込む人は、心の損害という代価を支払わなければならない」
というのがあるそうです。以前、このブログに書きましたが、河合隼雄は「対話する人間」で次のように書いてます。


ユングは、「人生の後半」を非常に強調しました。人生を前半と後半とに分けて、前半の課題と後半の課題を分けて考えたらどうか、というのです。前半は、自分がこの世にしっかり生きていく、この社会の中に完全に受けいれられる、あるいは社会の中に貢献するということをやっていくのだけれども、次に非常に大事なことは、その自分は死ぬわけですから、今まで夢中に生きてきたけれども、自分はいったい何のために生きているのだろう、これからどうなるのだろう、いったいどこへ行くのか、といった問いかけに対して答える仕事が、われわれの人生の後半にあるのではないか、というのです。


そんなわけで弁当を食べた土曜の午後、ぼくは好きな音楽をかけ、熱いコーヒーを飲みながら、俺、何のために生きてんだろーな、みたいなことをぼんやり考えていたのであります。