一昨日の夜、某映画館でダークナイトという映画を見た。ストーリーは陳腐なもので、まったく好きになれなかったのだけど、ジョーカーという悪役がすばらしく魅力的で、とても気に入った。彼を見ていて、ふと、悪魔こそが正義や愛を知り尽くしているんだな、なんてことを思ってみたり、こういう友達がいたら、さぞ楽しいだろうな、なんて考えてみたり。
じゃあ、また
ドアの向こう
これは昨夜の話だ。時計は1時を回っており、家族はみんな眠っていた。ぼくもそろそろ眠ろうと思い、いつものように戸締りを確かめるために階段を下りていった。台所、リビング、玄関。すべての窓とドアをチェックし、最後に住居と店舗部分を隔てているドアを閉めようとした、そのときだった。ドアが閉まる寸前、だれかが向こう側からドアを引っぱった。ぼくはギョッとし、反射的にドアを引き戻した。すると向こうも引っぱる。ぼくは狂ったようにドアを引き、ドアが閉まるとすぐに鍵をかけた。ぼくはガタガタ震えながら2階に上がり、ベッドに入った。ぼくは「幽霊が引っぱった」みたいな考えを絶対に肯定したくなかったので、ドアが人間的な力で引き戻される科学的な理由をあれこれ考えてみたが、答えは見つからなかった。ぼくはこれほど恐い思いをしたことは、今までない。「ふん、馬鹿げたことを」と、笑われそうなことをこうしてあえて書くのも、読んでいただくことで少しはぼくの恐怖心がやわらぐような気がしたからだ。
terminal
お昼過ぎ、魔女が来た。それはぼくが密かに「魔女」と呼んでいるお客様のことであって、そのことを彼女は知らない。彼女の世界観は独特で一般的ではない。彼女には人間以外の親しい友達がいて、たとえばその友達の一人は、ある特定の場所に生えている一本の樹木だ。彼女はその樹木のことを、あの人がね、とか、○○ちゃんは、というふうに、ふつうに会話に登場させるので、たぶん、だれだって始めのうちはキツネにつままれたような変な感じになる。ぼくもそうだったのだけど、今は慣れた。今ではぼくも彼女を通して、その樹木を感じることができる。彼女が、草木、花のことを語りだすと、変な言い方だけど彼女の周りが渦を巻くような感じになり、渦の腕がぼくの方に伸びて絡んでくる。その時の彼女の目はちょっと恐い。ところで、ぼくは時々本気で思うのだけど、女というのは、もともと魔女であって、人間のふりをしてるだけじゃないの?
a morning glory
昨夜、寝ぼけマナコで茂木健一郎 クオリア日記を読んでいたら、次のようなくだりがあった。
私たちを感動させるものの
背後には、常に「奇蹟」が隠れている。
これを読んで、ぼくはブツブツつぶやいた。
ふぅん、なるほどね。でもちょっと違う感じだな。ぼくにとって世界は奇跡そのものだし、ぼくはそのことを思うたびに感動しすぎて狂いそうだったけれど、疲れたよ、もう。それに、この感動を人に話すと、いつも怪訝そうな目で見られてさ。もう慣れたけどね。
秋の気配
オープン・ユア・アイズ
最近、奇妙な夢を見る。変な夢はよく見るのだが、ここ数日の夢といったら、細部がよく描かれていて、ひどくリアルなのだ。今まで見たことのないタイプの夢なのである。何か注意を払うべき意味が含まれているような気がして、ちょっと気にかかる。
7年後
店の駐車場で、クマゼミが鳴いている。
今日も朝から狂ったように叫んでいる。
クマ、というだけあって、ムカツクほど声がデカい。
そのむかし、セミのいない国の学者が日本に来たとき、セミの声を聞いてこう尋ねたそうだ。
あれは何という鳥ですか。
セミがいない国で思い出したが、奄美大島にはクマゼミがいないらしい。ほんとうだろうか。ほんとうなら妙な話だ。
駐車場に植えてあるケヤキの支柱にセミの抜け殻があった。たぶん、7年前のいまごろ、ここで狂ったように鳴いていたセミの子。
7年前、ぼくは今より7才若かった。あたりまえの話だ。
今鳴いているクマゼミの子は、7年後に地上に姿を現す。
そして、そのときぼくは7つ歳を取っている。あなたも。
夏の終わり
A LONG VACATION 3日目
短いようで短かったLONG VACATIONもついに3日目となった。コーヒーを飲みながら今日は何をしようかと考えているうちに12時のサイレンが聞こえてきた。それは遠い知らないところから流れてくる。ぼくはこのサイレンの音が嫌いだ。好きな人がいるから鳴らすのだろうが、嫌いな人がいることも時には思い出して欲しい。今日は昨日に引き続き、天気が良かった。屋上でぼんやり雲を眺めていると、いつしか時が過ぎていく。それは、たとえばこんな情景だ。あれはショーシャンクの空だったろうか。刑務所での野外作業の休憩時間、塀にもたれたモーガンフリーマンが空を流れる雲を眺めている。時に思う。どうしてぼくはここにいるんだろう。