くらげなぼく

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いまからぼくは、ぬるーぅーいお風呂に、ながーぁーーく浸かって、海にいるクラゲみたいになって、それから寝ようと思います。
じゃあね。

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日が沈んで夜になった。
南西の空に三日月が浮かんでいた。
店を閉め、車に乗ろうとした。
だれかがぼくを見ている。だれもいないはずなのに。
あたりを見回して、ぼくはその正体を知った。
ぼくを見ていたのは、氷だった。
氷という字が、じっとぼくを見ていた。
字には魂が宿っているのかもしれない、
と、ぼくは思った。

ブツヨク同盟各位

K1069701読書の秋。食欲の秋。そしてブツヨクの秋。と、いうわけで、今回、デンマークはボダム社の製品をいくつか仕入れてみようと思ってます。とりあえず明日あたり、フィルター部にチタンを用いたボダムドリッパーが入荷する予定です。
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入荷次第、珈琲ブログで詳しく案内する予定です。

もしもし

ぼくは、電話で「もしもし」と言うことはもちろん、相手にそう言われることにも、かなり抵抗がある。他の人はそう思わないのだろうか。昨日たまたまめくっていた本に、次のような新聞投稿の記事が載っていた。それを読んで、ぼくはホッとした。ぼくと同じように考え、悩んでいる人が、世間にはちゃんと存在しているのだ。みなさんはどうなんでしょう。
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ハリガネムシの午後

数日前、通勤中にラジオを聞いてたら、某国営放送の子ども電話相談室という番組の中で、小学生がこんな質問をした。
「プールでハリガネムシを見つけました。ハリガネムシは、どうやって飼えばいいのですか?」
負けた、と、ぼくは思った。ハリガネムシとは、ご存知のようにカマキリなどに寄生する細長いミミズのような生物である。寄生したハリガネムシは、成長すると宿主を水辺に誘導し、宿主が水におぼれると、その体内から這いずり出てきて棲みかを水中に移す。そこで相手を探し出し、生殖する。ぼくも小学生の頃、カマキリの尻から出てきた糸のようなものがクネクネ動き回るのを見て甚く感動した口である。が、この奇妙な生物を飼おうなどとは決して思わなかった。なにせこいつは虫の尻から出てきたのだ。子どもには子どもなりの美意識がある。おろしたてのシーツのような微熱少年の感性はスカトロジーを解し得るほど成熟していなかったし、少年の中で頭をもたげた目くるめく好奇心は、幼い平坦な美学の下にあえなく屈服したのだった。
という、メシがまずくなるような話を今頃なぜ思い出したかというと、11月に某珈琲豆屋の皇徳寺店で行う「カラフルパワーハウス」という作品展のポスターの記事をさっき読んだせいなのだった。その記事を書いたのは、桑原明日香さんって方。以下、その記事から抜粋。全文を読みたい方は、ポスターの写真をクリックしてみてください。
 —————– ここから —————–
 … 帰り道の途中、友達と別れて一人、坂道を歩くのが憂鬱でした。例えば、ジグザグに歩いたり、後ろ向きだったり、ダッシュしてみたり、誰もいないとき寝そべってゴロゴロ転がってみたり。蛇が怖くて道の真ん中を歩いていたり、がむしゃらに草をちぎりながら歩いて手を切ったり、ドブにいたカマキリに石をぶつけてどうなるのか研究してみたり …
 —————– ここまで —————–
筆者が石をぶつけて研究しようとした哀れなカマキリ。この可哀想なカマキリは、どうしてドブにいたのでしょう。そう、それはハリガネムシの仕業だったかもしれないのです。
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↓は、このポスターの裏面(もしかするとこちらが表なのかも)
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オレという現象

窓の外が明るくなったころ、煙のようにオレは現れた。だが、その時オレはまだオレではなかった。オレは何かに取り付かないとオレになれない。やがてオレはなぜかひどく頭痛のする肉体に入り込み、目覚め、酒臭いベッドから這い出した。そうだ、頭痛の原因は昨夜某屋敷で飲んだ酒のせいだ。悲しいかな、オレの肉体はめっきり酒に弱くなった。オレはベッドから立ち上がり、一歩踏み出してよろめき、足の小指を椅子に引っ掛けて激痛のあまりその場にうずくまった。

おしまい

今、あるところから帰ってきたところ。
飲んでるせいでフラフラしてます。
代行運転、今日は4000円でした。
この前は3500円くらいだったのに、ちょっと上がったみたいです。
おしまい
おやすみ

9月1日が月曜日だったとしても

もしも明日が晴れなら、
ぼくはドライブに出かける。
そして、小さな秋を見つけるだろう。
もしも明日が雨なら、好きな音楽をかけ、
コーヒーを飲み、映画を見る。
もしも9月1日が月曜日だったなら
ぼくは定休日です。

made in

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父親としての自覚に欠けている、と自覚するぼくでも、たまには息子にこんなことを言う。
「早く起きて計画的に日々を過ごしなさい。それが自由への第一歩である」
息子は自称「自由を愛する男」らしいのだ。そこでぼくはこう言ったわけである。しかし、予想通り彼の生活態度に変化は見られない。時間が許す限り、いつまでも寝ている。彼の愛する自由とは、そういう野放しの自由をいうらしい。ちなみに息子は大学生だ。ところがつい最近、その息子が早起きをするようになった。ぼくが目を覚ます前から、洗面所や廊下でガタゴトやっている。実にうるさい。しかしぼくは内心うれしかった。おそらく彼はぼくの言わんとする意味を何かのきっかけで突然理解したに違いない。そう、自由とは自分を律することに他ならない。さっそくぼくはその喜びを妻に伝えてみた。すると妻は言った。
「時差ボケで朝早く目が覚めるらしいよ」
うっ。ぼくは絶句した。そういえば息子は数日前にホームステイから帰ってきたのだ。
夕食後、妻とどうでもいいような話をしていると、妻が「あ、あなたにお土産があった」と言って、息子から預かったという小さなチョコレートのようなものを差し出した。それは冷蔵庫などにメモを貼り付けるマグネットだった。表に電車と橋がデザインされており、中央に英語でSan Franciscoと書かれている。ぼくはそれを手にとって言った。
「あれ?メイドイン、チャイナって書いてあるぜ」
もちろん冗談である。先日、知人から頂いたカリブ海の土産がメイドイン、チャイナだったのを思い出し、とっさに思いついたのだ。この冗談は息子が目の前にいるときに言いたかったのだが、残念ながら息子は、食事を済ますとさっさと自分の部屋に戻って寝てしまった。そう、時差ボケとやらで。息子の驚く顔が見たかったな、と、ニヤニヤしながらマグネットを裏返すと、隅のシールに小さな文字で何か書いてある。
made in china

○ンタマがイタイ夜

仕事が一段落すると、とりあえずぼくはコーヒーを飲む。
コーヒーを飲むとき、ぼくは必ず音楽をかける。
今日、最初にかけた曲はオフコースの「秋の気配」だった。
(ふん、またか)
耳がそれを欲するのだからしょうがない。ぼくのせいではない。
つまり、もう秋なのだ。
秋といえば、すぐさま焼イモを思い浮かべるお姉さんもいる。
だが、ぼくがここで述べたいのは、読書と秋の関係なのであって、
実は、ここ数日、本の読みすぎで目の奥が痛い、という話がしたかっただけなのだ。