ワクチンの夜はミスティ

今日は仕事は休み。ドライブに出かけたかったが、午前中は5回目のワクチンを打つ予定になっていた。繁華街にある病院で接種を済ませ、昼食はデパートの食堂で、かた焼きそばの大盛り

デパートの地下で饅頭を買って、グループホームにいる大正生まれの伯母を訪ねた。コロナのせいで、近くで話すことはできなかったが、元気そうだったのでほっとした。雨の中を走って海に出る。冷たい雨と風が心地よかった

帰りにスーパーに寄ってワインを買った。変なラベルの瓶が目についたので、それをチョイス。夕食後、スモークチーズをかじりながらグラスを傾ける。スモーキーなのにミスティな夜

ロマンチストは やめられない

先日「かごしまタラソニュース」を発行しているYさんからこんなメールが届いた。

「かごしまタラソニュースを購読されている複数の読者から、長島さんはとてもロマンチストなんですね。文章を興味深く読ませていただきました、との声が寄せられました」と。

少し前ブログに書いたのだけど、ぼくはタラソニュースに「私と海」という題のエッセイを書いた。それを読んだ読者から、これを書いた人はヘビー級のロマンチストですね、との感想が届いたという。
やれやれ、またか。ぼくはメールを読んで思った。数日前もある女性に「あなたってロマンチストね」と言われたばかり。ぼくのことをロマンチストと呼ぶ人はとても多い。特に女性たちからは。ぼくが勝手にそう思っているだけなのだろうけど、ロマンチスト、という響きにはどこか現実逃避的な、あるいは星菫派の詩人よろしく感傷的な世界に耽って閉じこもっている偏屈者、といったイメージが重なる。そう、決して褒められているようには思えない。確かにぼくはロマンチストだ。しかし、世のロマンチストたちがきっとそう思っているように、ロマンチストはやめられない。ずっとロマンチストでいたい。(もちろん、やめようと思って止められるものでもない)
ぼくの書いた「私と海」に、レイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダーの一節を引用したが、その巻末には次のような一文がある。

わたしは、スウェーデンのすぐれた海洋学者であるオットー・ペテルソンのことをよく思い出します。彼は九十三歳で世を去りましたが、最後まで彼のはつらつとした精神力は失われませんでした。彼の息子もまた世界的に名の知られた海洋学者ですが、最近出版された著作の中で、彼の父親が、自分のまわりの世界でなにか新しい発見や経験をするたびに、それをいかに楽しんでいたかを述べています。「父は、どうしようもないロマンチストでした。生命と宇宙の神秘をかぎりなく愛していました」オットー・ペテルソンは、地球上の景色をもうそんなに長くは楽しめないと悟ったとき、息子にこう語りました。「死に臨んだとき、私の最後の瞬間を支えてくれるのは、この先に何があるのだろうかというかぎりない好奇心だろうね」と。

夕暮れ時は

コウモリがたくさん飛んでいた。冬眠の準備だろうか。でもエサになるような虫はほとんど飛んでなかったようだけど

10年

夕方、R氏が奥さんとやってきた。久しぶりにカメラを向けてみたら、なんだか違う人になったような気がした。彼はカメラマンだが、今日は大学の教授みたいに見えた

10年前、街で会ったときはこんな顔だったが

コーヒーブレイク

お客さんから預かったコーヒーミルを分解、清掃。取り外した金属部品を熱湯で洗浄し、油脂を含んだコーヒーかすを取り除く

実際に挽きながらコーヒーの粒状を調整

久しぶりに手挽きミルを使ってコーヒーを点てました。気のせいか、ぬくもりのある味でした

たそがれのチャーリー

夕日が沈もうとする頃チャーリーはやってきた。いつもはバイク少年と呼ばれているが今日はチャリでやってきたのでチャーリーになった。コーヒーを飲みながらチャーリーは言った。いい映画を見た。と。
ビデオで?と聞くと
いや、映画館。
どこの映画?
フィンランド。魂のまなざし、という映画で、主人公は画家。
なんか、こう、よかったな~。

彼が気に入る映画は、ぼくも好きな場合が多い。機会があれば見てみようと思う