現代日本の際立った特徴?

昨日の「内田樹の研究室」の記事がおもしろかったので以下に抜粋


現代日本の際立った特徴は富裕層に属する人たちほど「貧乏くさい」ということである。富裕層に属し、権力の近くにいる人たちは、それをもっぱら「公共財を切り取って私有財産に付け替える」権利、「公権力を私用に流用する権利」を付与されたことだと解釈している。公的な事業に投じるべき税金を「中抜き」して、公金を私物化することに官民あげてこれほど熱心になったことは私の知る限り過去にない。
税金を集め、その使い道を決める人たちが、公金を私財に付け替えることを「本務」としているさまを形容するのに「貧乏くさい」という言葉以上に適切なものはあるまい。今の日本では「社会的上昇を遂げる」ということが「より貧乏くさくなること」を意味するのである。
いや、ほんとうにそうなのだ。現代日本の辞書では、「権力者」というのは「公権力を私用に使い、公共財を私物化できる人」のことなのである。そういう身分になることを目標にして、人々が日々額に汗して努力している以上、国があげて「貧乏くさく」なるのも当然である。
私はもうこの貧乏くささにうんざりしている。貧しくてもいい。「貧乏くさくない社会」に暮らしたい。
それなら、どういう社会が「貧乏くさく」ないのか。とりあえず私が敗戦後の日本で見聞した「共和的な町内」はそうだった。他人の富裕を羨まない、弱者を見捨てない、私財を退蔵せずに分かち合う、公共財ができるだけ豊かになるように努力する。言ってみればそれだけのことである。現に大人たちがそのようにふるまい、それが「ふつう」なのだと子どもたちが思うなら、その社会は、たとえ物質的に貧しくても、「貧乏くさく」はない。私はできるならそのような社会に暮らしたい。
「公共財」を英語では「コモン(common)」という。原義は「入会地・共有地」のことである。囲いのない森や草原で、村落共同体が共有し、共同管理する。村人はそこで・・・

2024/05/01 コミュニズムのすすめ より抜粋

誕生会

今日は祝日らしい。ネットで調べたら「昭和の日」だそうだ。ふーん。どうでもいいけど月曜が定休日のぼくにはあまり価値がない。でも、今日なら家族そろって誕生会ができるってことで、子供たちが今日を「ぼくの誕生会」という祝日にしてくれた

誕生会といえばケーキ。ケーキといえばローソク。みんなが見守る中、揺らめくローソクの炎を一息に吹き消す瞬間が誕生会のクライマックス。ぼくも数年前までは年の数だけローソクを立てて吹き消し、得意になっていた。だけど…あれは忘れもしない4年前、ついにその日がやってきた。数本のローソクを残したまま息が切れ、全部吹き消せなかった。そう、なにかが終わったのだ。以来、ローソクを年の数立てるのはやめてしまった。その日ぼくは心に想定外の深手を負ったのだ

今日は8本ローソクを立てた。何本でもよかった。いうまでもなく簡単に吹き消すことができた。ぼくは大きな拍手に包まれた

夢の中へ

あと40ページでこの物語は終わる。「街とその不確かな壁」。ぼくはその結末をあれこれ想像しながら残り少ないページをめくる。若いころは全くそのようには思わなかったが、ある年齢に差し掛かったころから、そうか、世界はすべてイリュージョンなんだ、と思うようになった。ある時期を境に突如現れたこの手掛かりさえない不確かな世界は、それまで経験したことのない居心地の良さをぼくに提供してくれた。
写真は日曜日の午後に現れた仕事男

「素敵なおじさま」シリーズ

先月末、北海道のNさんからこんなメールをいただいた。


最近のマスターのブログの「素敵なおじさま」シリーズいいですね.
味のある面白い大人になっていきたいものです…


「素敵なおじさま」シリーズ ?
「ステキなおじさま」なんて撮ってるつもりなど微塵もなかったぼくは、メールを読んで思わずのけぞった。でも、言われてみれば、男の目にはそう映らなくても、女性の目には、あるいは彼らは「味のある魅力的な」、もっと言うなら、セクシーな男?に映るのかもしれなかった。そういえば、今はどうか知らないけれど、「枯れ専」という言葉がはやったことがあった。「枯れ専」とは「枯れた男性専門」の略。「枯れた男」とは、年を経て青臭さが取れ、涼しげで脂ぎってない、つまり経験豊富で落ち着いた魅力がある大人の男、といった感じ。そういう男性を好む女性を「枯れ専」と称していたと思う。

ワクワクさせてよ

「遊びで写真を撮ることがなくなったなぁ」と、R氏は言った。あのころは素敵な写真を毎日のようにネットで公開していたのに。
遊びを仕事にしてしまったから??

気の向くままに花や風景をカメラに収めていた、あのころのR氏