今日は月曜日で定休日。何の日か知らないけど祝日。定休日に祝日が重なると人出を嫌ってあまり出かけない。でも天気が良すぎるので出かけることにした
南の植物園。やはり人が多い。いつもの10倍くらいいる
イズノオドリコという名前の桜
チューリップ展をやっていた
チューリップだらけ
春ですね
怪獣池のパン屋でブランチにしよう、ってことで行ってみたのですが、機械のメンテナンスのため、臨時休業、とのこと
アカシアが満開、といううわさを聞いたので、南の植物園に行ってみました
甘酸っぱい匂いが立ちこめてました。春はたぶん甘酸っぱいのです
早咲きの桜も咲き始めてます
ミツバチがたくさん集まってきているらしく、ブーンという羽音があたりに響いてました。ぼんやり耳を傾けていたら、ふいに、あの詩の一節が浮かんできました。「さあ、立って行こう、イニスフリーの島へ。あの島で枝を編み、泥壁を塗り、小さな小屋を建て、九つの豆のうねを耕そう。それに蜜蜂の巣箱をひとつ。そうして蜂の羽音響く森の空地に一人で暮らそう」サラリーマンだった頃、仕事をやめようと悩んでいたぼくはこの詩を繰り返し読み、そらんじてました。いわゆる、逃避、ですね。けっこう重症だったと思います
海の駅で遅い昼食。ぼくはカツオのたたき定食、ヨッパライ某は菜の花カンパチ丼。とてもおいしかったです
初夏になると歩いて渡れる島
今日は仕事は休み。ヨッパライ某が髪を切りたいというので散髪屋で彼女を降ろし、その先のバラ園のある公園に車を走らせた
展望所へ続く長い階段。上り終えて振り向くと、ぼくの影が下の方で手を振っていた
8時50分。展望所からの眺め。彼方に知林ヶ島と魚見岳が見える
展望所の横にある宇宙基地
宇宙人との交信に使う装置
スピーダーバイク
髪を切ったヨッパライ某を拾い、どこで昼食を食べるか車を走らせながら考える。協議の結果、久しぶりにあの島に渡ってブリオー定食を食べよう、ってことになったが、西の方から鉛色の雲が広がってきて、ついに雨が降り出した
大きな顔が南の空を見つめていた
雨のドライブ。梅があちこちで咲いていた。春だな
ついにこの日がやってきた。つまり、長かった休みも今日で終わり、がーん!という日である。
午前中は店に行って明日の準備。午後からは昼食を兼ねてドライブの予定だったが、行こうと思っていたランチの店が軒並み休業。しかたがないので、海の近くのいつもの店で魚フライでも食べよう、ってことになった。
ところが行ってみると、ここも休業。やれやれ、どこへ行こうか。と、ふと頭に浮かんだのが街はずれの小さな港にあるナントカ記念館。ここには小さなカフェがある。肉や麺類も食べ飽きたし、あそこでカレーを食べようぜ!と意気投合、海沿いの道路を走って記念館の駐車場に車をとめた。思った通り、ここは人もまばら。シーフードカレーの大盛りを注文し、テラス席へ。海から吹いてくる風が冷たくて心地よい。ヨッパライ某は寒いといって中のカウンター席に引っ込んでしまった
早朝の病院の駐車場はとても寒い。エスキモーみたいなダウンジャケット、分厚い靴下、ウルトラヒートテック、そんなものを着込んでヨッパライ某の帰りを車内で待つ。病院が開くまでの時間を含めると約2時間半。その間、先日購入した、礒山雅 (著)、マタイ受難曲を読みはじめた
バッハのマタイ受難曲が好きな人なら、この本は興味深く読める、と思う。
熱帯雨林の説明書きにはこうある。
荘厳な響きと、雄大な構想により、西洋音楽の歴史において圧倒的な存在感を誇ってきた“マタイ受難曲”。イエスの捕縛から十字架刑、そして復活までの物語を描いたこの作品には、罪を、死を、犠牲を、救済をめぐる人間のドラマがあり、音楽としての価値を超えて、存在そのものの深みに迫ってゆく力がある。いまなお演奏ごとに、そして鑑賞のごとに新たなメッセージが発見され続ける、すぐれて現代的なテーマを秘めている。バッハ研究の第一人者が、バッハの手書き譜や所蔵していた神学書など膨大な資料を渉猟し、ひとつひとつの曲を緻密に分析して本国での演奏にまで影響を与えた古典的名著
どこかで昼食にしよう、ってことで、いつものように山を越え、漁港近くのスシ屋に走った
近くの丘にのぼって、海を見下ろす。冷たい風が顔に当たってひりひりする
ぼくは安い方のスシ定食、ヨッパライ某は煮魚定食。とてもおいしかったです。ちなみにこのスシ屋、いつも昭和の歌謡曲が流れている。帰る時にかかっていたのはブルーライトヨコハマ。たぶん、知っている人はもうほとんどいない。
今日は年末の大掃除の一つを終わらせる予定だ。家に帰りつき、作業を始める前に屋上で熱いコーヒーを飲んだ
換気扇とレンジの掃除を開始した。例によって、換気扇のファン、金属フィルター、ガスレンジのバーナーや五徳を特殊な液体に漬け込む。約2時間で、こびりついた油汚れがごっそり取れる。ラクチン!