連日30度を超える暑い晴天が続いていたが、昨日から急に涼しくなった。
秋バラでも見に行こうか、ってことで、動物園横の広い公園に車を走らせた。
バラは少ししか咲いてなかったけど、風がさらさら吹いて気持ちよかった。なんだか今日の気分に合っている気がした。
山を越えて、漁港近くの寿司屋で昼食
寿司屋の近くにある丘に上ってみた。海が銀色に輝いていた。
空を飛んでる人がいた。飛んで行ったのはカナダの青年。パラグライダーは初めてなんだそうで、かなりビビっていた。
学生の時に買った古いレンズをカメラに付けて山の上の公園に出かけた。絞りが壊れているので狭い範囲にしかピントが合わない
古いレンズなのでフォーカスリングを手で回しながらピントを合わせる。いつの間にかぼくもこんな悠長な作業を楽しめるようになった。このレンズ、当時、定価24000円だったのを新宿さくらやで3割引で購入
園内を歩いていて変なにおいがすると思ったら銀杏。もう少しで踏んづけるところだった
妻の母のリクエストで昼は天ぷらそば。とてもおいしかったです
ヨッパライ某が、あそこの丘でパラグライダーやってるかも、というので行ってみたけど、やってなかった。この写真はいつも持ち歩いているコンデジでとったもの
海に寄ってみた
海どりの声はさびしくて、美しくて、なにか、とても遠い昔のひびきがありました。昔知っていて、でも、なくなってしまったもの、そして、それきり二度とみつけられなかった、すばらしいなにかのことを、アンナに思い出させました
これはロビンソンの「思い出のマーニー」(岩波少年文庫)の一節。
以前も書いたけど、こういう文に出会うと、どこかでなくしてしまった何かを探しに出かけたくなる
いい月が出ていたので夕食はバーべーキューにした
今日も雨だった。青空は雲の上。昼は山の向こうの漁港近くの店で安いほうのスシを食べることにした。思ったより早く着いたので近くの丘に上がって遠くの海を眺めようとしたが、立ち込めた雲が視界を遮って何も見えない
大切なものは目に見えない。知性の限界もあるが、本当に大切なものは雲や霧に遮られてかすみがち。今読んでる本にこんなことが書いてあった。「現在のハーバードの校章はveritasという言葉が三冊の開かれた書物に書かれているが、初期の校章を見ると、一番下の本は伏せられている。これは、人間の理性で知ることのできる知には限界があり、三冊目の本の知識は聖霊の光によってのみ得ることができる、という意味であった。」
森本あんり著 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体
昼食は安いほうのスシにするつもりだったが、メニューを見たら、タカエビ定食の写真がとてもうまそうに見えたので思わずそれにしてしまった
刺身、素揚げ、みそ汁にもエビが入っている。そしてこれは塩焼き
海沿いのカーブから見た雨の海