台風のあとの片づけ

朝起きてすぐ店に行った。一晩中吹き荒れた風雨で雨漏りなどしてないか気になったから。朝早かったせいか、車はほとんど走ってなかった。ドキドキしながら店に入ったが、窓ガラスは割れていず、雨漏りもなかった。水濡れを心配して窓から遠ざけておいた商品などをもとの場所に戻し、急いでわが家にUターン

わが家は庭に植えてあったジャスミンが支柱ごとぶっ倒れたほかは、大した被害はなかった。問題は強風で飛んできた草や葉っぱがベランダを埋め尽くすほど積もっていたこと。これを放っておくと雨漏りの原因になる。

掃除を終え、近くのインド料理店でランチ

家に帰って一服したあと、草や葉っぱがいっぱい貼り付いた車を水洗い。

屋上のベンチに腰掛け、流れていく雲を眺めながら缶ビールを開けた

台風の午後

いつもの時間に起きたはずなのに部屋は真っ暗だった。ぼくはまだ夢を見ているのだろうか。理由は簡単だった。昨夜、ニュースが台風のことでうるさく騒ぐので雨戸を閉めて寝たのだ。外に出ると風もなく、雨もほとんど降ってなかった。夕方には暴風圏に入るというので、ネット上に「3時に閉店します」という案内を出し、店を開けた。朝早く数人のお客さんがいらした後は猛烈にヒマだった。2時半ごろいらしたお客さんが帰られた後、閉店の準備をはじめた。ドアには臨時休業の張り紙をした。帰路はとても空いていて気分よく走れた。海の様子を見に行こうと思ったが、車が海水を浴びるのが嫌だったのでやめた

夜中にのこぎりを引く音がする

モーレツな台風が来るかもしれない、ってことで、昨夜、店の帰りにホームセンターに寄って、1800×900mmの合板を購入。車に入らなかったので真ん中で切ってもらった。

店の入り口にあるガラスを保護するため。

のこぎりでガラス枠の幅に切断、はめ込む。ガラスと合板の隙間は2cmくらい

道草

朝、友人Fがやってきた。いっしょにコーヒーを飲みながら、今年の夏は短かったね、という話になった。学生時代、彼とはキャンプに行ったり、泳ぎに行ったり、カブト虫を取りに行ったりで、時間があれば遊んでばかりいた。ほかにするべきことはたくさんあったのだけど。しかし、今、振り返って思い出すのは海や山で友達と無心に遊んだことばかり。人生の多くの時間を費やしたはずの仕事のことは不思議なくらい思い出せない。
ぼくはふと「小椋佳の道草みたいだね」と言った。Fもその歌詞を思い出し、深くうなずいた

焼き魚はワイルドだった

今日は第一火曜で定休日。目覚ましが鳴らないのんびりした朝を迎えるはずだったが、台風が近づいてるらしいので起きてすぐ雨漏りの対策に取り掛かった。この前の台風の際は南から吹きつける横殴りの雨で雨漏りが発生した

作業を終え、腹が減ったので、どこかで食事をしよう、ということになり、いつものように山を越えて漁港近くのスシ屋に向かった。峠を越え、下り坂をくねくね走っているとき、ふと、何かがおかしい、と感じた。そうだ、今日は火曜日、漁港近くのスシ屋は定休日だ!

山を下りきった交差点を左に曲がる予定だったが、右に曲がり、海を左手に見ながら走り続けた。北の空はまだ青空が広がっていた

海に面した、何もないところにポツンと佇む浜の茶屋。今日のおすすめ定食は海鮮丼だったが、焼き魚定食を注文。待つこと30分。テーブルに運ばれてきたのは大きなブリカマと鯛の塩焼き。無造作に重ねてあるところが何気にファンタスティック。ブリカマは肉がたっぷりついていて、とてもジューシー。鯛の塩焼きもとてもおいしかったです

トンボがたくさん飛んでました

シャワー

村上龍のある短編の主人公は虫歯の穴に詰まった食べもののカスを舌の先で探っていると夢見心地になり、まるで麻薬をやった時のようにトリップし、知らない町や過去をさまよう。この短編を読んだのは30年以上前だが、その頃ぼくはこの主人公と似たような経験をしていた。ぼくの場合、奥歯に挟まったカスを舌の先で執拗に取ろうとしているうちに現実と非現実の境があいまいになって、今ぼくはここにいるのか、夢を見ているのか、それともこれは映画なのだろうか、となり、あわてて不覚に陥った自分の座標を確かめていた。思うに村上龍も同じような現象を経験していたんじゃないかと思う。彼は薬物経験者だし、脳内にトリップしやすい回路ができあがっている気がする。この現象はいつの間にか止んだが、最近また同じような症状が現れるようになった。夏の間、風呂上りに冷水のシャワーを浴びるのだけど、その時トリップする。たとえば、子供のころのぼくが見知らぬ町を探検していて道に迷い、不安になったときの家並みが亡霊のようにぼくを取り囲んでくる。以前のように自分の座標を見失う程ではないので、その世界を客観的に眺め、楽しむ余裕がある

バラのために費やした時間

サンテグジュペリの星の王子さまを久しぶりに読んだ。今回は河野万里子さんが訳したのを読んだのだけど、これまで読んできた内藤濯さんの訳とはだいぶ違った印象を受けた。たとえばキツネが別れ際に王子さまに秘密を教えるシーン。

内藤濯さんの訳では…

「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思っているのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」

河野万里子さん訳では…

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」

となっている。

いずれにせよ、この物語に出てくる王子さまとバラに関するエピソードは妙に切実で、サンテグジュペリ自身の深い悩み、悲しみがひしひしと伝わってくる。夏の終わりに読むにはチト辛い物語なのだった。