「あの山並み、白い象みたい」彼女は言った。
「白い象なんて、一度も見たことないな」男はビールを飲んだ。
「ええ、ないでしょうね、あなたは」
「いや、あるかもしれないぞ」男は言った。
「おれが見たことないときみが言ったからって、そのとおりとは限らないんだ」
ヘミングウェイ「白い象のような山並み」
「白い象のような山並み」と「雨の中の猫」。何度読んでも、何かあるとまた読みたくなる。
魚フライもそうだ。心のどこかが疲れてくると、車は海辺の食堂に向かっている
冷たい風が吹いていた。春なのに。
お昼の弁当を食べた後、リンドバーグ夫人が書いた「海からの贈物」というエッセイを読んでたら、文中に「人生の午後」という言葉が出てきて、ふと我に返った。
心理学者、ユングの言葉に
「人生の午前の法則を、人生の午後に引きずり込む人は、心の損害という代価を支払わなければならない」
というのがあるそうです。以前、このブログに書きましたが、河合隼雄は「対話する人間」で次のように書いてます。
ユングは、「人生の後半」を非常に強調しました。人生を前半と後半とに分けて、前半の課題と後半の課題を分けて考えたらどうか、というのです。前半は、自分がこの世にしっかり生きていく、この社会の中に完全に受けいれられる、あるいは社会の中に貢献するということをやっていくのだけれども、次に非常に大事なことは、その自分は死ぬわけですから、今まで夢中に生きてきたけれども、自分はいったい何のために生きているのだろう、これからどうなるのだろう、いったいどこへ行くのか、といった問いかけに対して答える仕事が、われわれの人生の後半にあるのではないか、というのです。
そんなわけで弁当を食べた土曜の午後、ぼくは好きな音楽をかけ、熱いコーヒーを飲みながら、俺、何のために生きてんだろーな、みたいなことをぼんやり考えていたのであります。
いつものように敵と戦っていたぼくは間違えて味方を拳銃で撃ってしまい、途方に暮れていた。すると、9時半だよ、めっちゃいい天気だよ!というヨッパライ某の声がして目が覚めた
予報では今日は一日中くもりとのことだったが、カーテンを引くと晴れていた。ヨッパライ某が山の上の美術館に行こう、というのでまだ眠っている頭で車に乗り込んだ
途中、イタリアレストランに寄って昼食。菜の花とアンチョビのなんとかというパスタ。菜の花がほんのり苦くて、とてもおいしかったです
レストランを出たときはまだ晴れていたが、次第に灰色の雲が空を覆いはじめ、やがて雨が降り出した
きっと雨のせいで、だれもいない美術館。建物は工事中で、屋外に展示してある作品しか見ることができない
傘をさして歩くぼくも、いつしか森の中の作品の一つになってしまう
好きな言葉に「人生は複雑とは限らない、求めるものを知っていれば」 というのがある。映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」に出てきた言葉。
求めるものを知っていれば人生に意味が出てくるだろうし、そのために必要なあれこれも自ずと集まってくるだろう。
次の文句も最近、よく思いめぐらす言葉だ。
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
問題は、
「求めなさい」 何を?
「探しなさい」 何を?
「門をたたきなさい」 その門はどこにあるの?