店の入り口の天井に設置してあるダウンライトの蛍光灯が切れた。LED電球が切れても悲しくもなんともないのに、蛍光灯が切れると、なんだか切ない。蛍光灯が過去のものとなりつつあるせいかもしれないし、蛍の光という名前のせいかもしれない
質問があったので
ヨッパライ某ってだれなんですか?って、このブログを読んだ人から時々聞かれるんですが、別に特殊な人などではなく、ただの配偶者です。由来は「Wino Junko」というウイングスの曲で、アルバム、スピードオブサウンドに収録されてます。なお、ブログの記事にコメントがあった場合、ぼくはスプーンという名で返答しますが、こちらは、山田詠美「ベッドタイムアイズ」の冒頭、「スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。ただし、それは私の体を、であって、心では決してない」から拝借しております。
庭は萩でいっぱいになっていた
砂浜の梅ヶ枝餅
ホームポジション
たとえばバッハのゴルトベルク変奏曲のメロディーがぼくの中にあって、いつもそれが流れているとする。しかし、生活してるといつか気づかないうちに音符が乱れ、メロディーが崩れてぼくがぼくじゃなくなっていく。ある晴れた日の午後、コーヒーを飲んでると、ふと、なんか変だな、と感じる。心に生じた小さな違和感。多くの情報の中にどっぷり浸っている間に、淀みに流され、くるくる回っている自分。そんなわけで、数日前から、ある哲学のテキストを引っ張り出して読み始めた。何年ぶりだろう。何度も繰り返して読んでるのでボロボロ。水の中を泳いでいる魚は自分が濡れていることに気づかないだろう。自分とは何か。主体の実体化に対する懐疑。そう、ぼくはそこにいる