蛍の光

店の入り口の天井に設置してあるダウンライトの蛍光灯が切れた。LED電球が切れても悲しくもなんともないのに、蛍光灯が切れると、なんだか切ない。蛍光灯が過去のものとなりつつあるせいかもしれないし、蛍の光という名前のせいかもしれない

質問があったので

ヨッパライ某ってだれなんですか?って、このブログを読んだ人から時々聞かれるんですが、別に特殊な人などではなく、ただの配偶者です。由来は「Wino Junko」というウイングスの曲で、アルバム、スピードオブサウンドに収録されてます。なお、ブログの記事にコメントがあった場合、ぼくはスプーンという名で返答しますが、こちらは、山田詠美「ベッドタイムアイズ」の冒頭、「スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。ただし、それは私の体を、であって、心では決してない」から拝借しております。

砂浜の梅ヶ枝餅

冷蔵庫に常備しているブリカマが底をついたので買いに出かけた

途中、無人駅の横にある、きれいな砂浜に寄ってみた

足跡一つない砂浜に、だれが落としたのか梅ヶ枝餅がひとつ。しかし、よく見るとそれはクラゲだった

海を渡って島を北上し、いつもの食堂に行ったが、コロナの影響で5月5日まで臨時休業とのこと。隣のブリカマを売っている店も閉店していた

しかたなく別の店で昼食。そのあと、いつものように灯台公園に行ってコーヒーを飲んだ

ホームポジション

たとえばバッハのゴルトベルク変奏曲のメロディーがぼくの中にあって、いつもそれが流れているとする。しかし、生活してるといつか気づかないうちに音符が乱れ、メロディーが崩れてぼくがぼくじゃなくなっていく。ある晴れた日の午後、コーヒーを飲んでると、ふと、なんか変だな、と感じる。心に生じた小さな違和感。多くの情報の中にどっぷり浸っている間に、淀みに流され、くるくる回っている自分。そんなわけで、数日前から、ある哲学のテキストを引っ張り出して読み始めた。何年ぶりだろう。何度も繰り返して読んでるのでボロボロ。水の中を泳いでいる魚は自分が濡れていることに気づかないだろう。自分とは何か。主体の実体化に対する懐疑。そう、ぼくはそこにいる

土曜の夜

仕事から帰ってきて車を駐車場に入れ、荷物を降ろしていると、東の空がパッと明るくなり、大きな音がした。それは花火だった。冷たい風が吹く中、屋上に上がって次々に打ち上がる花火を見ていたら、ヨッパライ某が缶ビール片手にやってきて言った。
花火と缶ビール、サイコー!
寒いのに。

さらば、ゴミバケツ色の時計

店の奥の部屋で使っていた掛け時計がついに動かなくなった。2000年に店を始めたとき、七味小路の雑貨屋で買ったもの。1000円しなかったと思う。

代わりに買ったのがこれ。あこがれの電波時計。うふ。熱帯雨林で1400円。同じ場所に掛けてみたら思ったよりデカかった。存在感ありすぎ。なんだか時間に追われてるような気分になったので、トイレのドアの上に移動。大きいので奥の部屋からもよく見える。

パープルレイン

天気が良くなったのでドライブに出かけた

行先はどこだっていい。だれかと話しながらドライブするのが好きなだけ

外気温25度。窓を全開にして走った

森の中のテラス席でランチ。ウグイスが近くに来て鳴いてました