ロマンチストは やめられない

先日「かごしまタラソニュース」を発行しているYさんからこんなメールが届いた。

「かごしまタラソニュースを購読されている複数の読者から、長島さんはとてもロマンチストなんですね。文章を興味深く読ませていただきました、との声が寄せられました」と。

少し前ブログに書いたのだけど、ぼくはタラソニュースに「私と海」という題のエッセイを書いた。それを読んだ読者から、これを書いた人はヘビー級のロマンチストですね、との感想が届いたという。
やれやれ、またか。ぼくはメールを読んで思った。数日前もある女性に「あなたってロマンチストね」と言われたばかり。ぼくのことをロマンチストと呼ぶ人はとても多い。特に女性たちからは。ぼくが勝手にそう思っているだけなのだろうけど、ロマンチスト、という響きにはどこか現実逃避的な、あるいは星菫派の詩人よろしく感傷的な世界に耽って閉じこもっている偏屈者、といったイメージが重なる。そう、決して褒められているようには思えない。確かにぼくはロマンチストだ。しかし、世のロマンチストたちがきっとそう思っているように、ロマンチストはやめられない。ずっとロマンチストでいたい。(もちろん、やめようと思って止められるものでもない)
ぼくの書いた「私と海」に、レイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダーの一節を引用したが、その巻末には次のような一文がある。

わたしは、スウェーデンのすぐれた海洋学者であるオットー・ペテルソンのことをよく思い出します。彼は九十三歳で世を去りましたが、最後まで彼のはつらつとした精神力は失われませんでした。彼の息子もまた世界的に名の知られた海洋学者ですが、最近出版された著作の中で、彼の父親が、自分のまわりの世界でなにか新しい発見や経験をするたびに、それをいかに楽しんでいたかを述べています。「父は、どうしようもないロマンチストでした。生命と宇宙の神秘をかぎりなく愛していました」オットー・ペテルソンは、地球上の景色をもうそんなに長くは楽しめないと悟ったとき、息子にこう語りました。「死に臨んだとき、私の最後の瞬間を支えてくれるのは、この先に何があるのだろうかというかぎりない好奇心だろうね」と。

小春日和

天気がよかったので、山の上の公園に紅葉を見に出かけた

枯葉のじゅうたん。葉っぱを集めて焼き芋を焼いたらうまいだろうな

やっぱり長いオレの足

昼食はカツオで有名な港町で

ヨッパライ某は西郷丼という、一見、うな重みたいな漬け丼セット。ぼくは相変わらずカツオのたたき。とてもおいしかったです。ヨッパライ某はカツオのハラカワがすごくうまかったといって、近くの店でハラカワを買っていた

温かい風が吹いて、ちょっと暑いくらいだった

夕暮れ時は

コウモリがたくさん飛んでいた。冬眠の準備だろうか。でもエサになるような虫はほとんど飛んでなかったようだけど

10年

夕方、R氏が奥さんとやってきた。久しぶりにカメラを向けてみたら、なんだか違う人になったような気がした。彼はカメラマンだが、今日は大学の教授みたいに見えた

10年前、街で会ったときはこんな顔だったが

インディアンサマー

天気が良かったのでドライブに出かけた

昼食は郊外のイタリアンレストランで。ヨッパライ某は春菊とキノコのリゾット、ぼくはズッキーニとなんとかのパスタの大盛。とてもおいしかったです。ヨッパライ某は食べ過ぎて車の中でうなっていた

山の上の火山湖に行ってみた。気候がいいせいか、湖畔の遊歩道を散策している人が結構いた

ヤマカガシが気持ちよさそうに泳いでいたので思わずパチリ。陸に上がってきたので写真を撮っていると、トレッキング姿で通りがかったおばちゃんが、なに撮ってるの~?ってニコニコしながら聞いてきたので、ヘビだよ。と言ったら、何も言わず歩いて行った

ラクウショウは落葉中

コーヒーブレイク

お客さんから預かったコーヒーミルを分解、清掃。取り外した金属部品を熱湯で洗浄し、油脂を含んだコーヒーかすを取り除く

実際に挽きながらコーヒーの粒状を調整

久しぶりに手挽きミルを使ってコーヒーを点てました。気のせいか、ぬくもりのある味でした

アイツが近づいてくる

7時30分起床。今日は定休日。
カーテンを開けると晴れていた。
でも憂うつ。口内炎のせい

山を越えて海に向かった。
途中、廃校になった小学校に寄る。
プールを見るため

砂丘に上る。
ハマゴウは花の時期を過ぎ、実をつけていた

風があって、ちょっと肌寒い。だんだん冬が近づいてくる

海が見える小さなレストランで昼食