ヒマだったので、F少年から借りた吉本隆明著「真贋」を読んだ。読み始めてすぐに強い違和感が立ち上がった。論理的な文章なのに、1+1が2にならないような気持ち悪さが常につきまとう。ぼくの思考回路をスムースに流れてくれない。居心地が悪くてしょうがない。3分の1ほど読んだところでヤーメタ、と投げだした。しかし、何か深いところで引っかかるものがある。ふとセレンディピティという言葉が浮かんだ。これは脳科学者、茂木健一郎が時々取り上げる概念で、偶然やってくる幸運を手に入れる能力のこと。偶然やってくるわけだから、手に入れる準備など出来ない。しかし、その能力を高めることは可能だという。たとえば「イヤなやつ」と感じた相手と付きあってみるのもその一つなんだそうだ。つまり、相手が自分にない物を持っているが故に拒否反応が起こる場合もある、というのである。ぼくは今回の吉本隆明著「真贋」にそれがあったような気がする。ぼくは口では「1+1は2にならなくても不思議じゃない、とか世界はグレーゾーンで出来ている」などと得意になって言うが、本音は違う。1+1が2にならないと、ひどく不安だ。この著書の作者あとがきに次のような文がある。(以下抜粋)
・・・たとえばルカーチのような哲学者は逆に現実のほうを定義に合わせて、修正したり、細説したりする。まさかと思うかもしれないが、無意識のうちに理念の重量と現実の重量が逆倒してしまっている・・・
これを読んで納得がいった。ぼくにはそういうところがある。実は、ウスウスその問題に気づいていて、ジタバタしていたのだ。しかし、今わかった。その手法さえ逆倒していたことに。