日野原重明さんの「生き方上手」という本を読んでたら、次のようなエピソードがでてきて、なるほどな、と思った。希望というのは、こういうことなのかもしれない。知ること、分かることで自分が次第に透明化していくこと。
禅の大家であり長年アメリカに住んでいらした鈴木大拙師の主治医を、私は先生が90歳のときからご臨終までの6年間務めました。先生は80代半ばに帰国される際、岡村美穂子さんという20代の日系二世の秘書を伴われましたが、ある日、岡村さんにこうおっしゃいました。
「きみ、長生きはしたまえよ。90歳にならないとわからないことがあるからね」と。
珈琲と本は似てますね。
淹れて飲んだ人にしかわからないように、読んだ人にしかその答えがわからないように。
学生時代に読んだことがあるように記憶していますが(でも内容はすっかり抜けている)昔の時とはまた違った受取り方になっているのでしょうね。久々に読み返したくなりました。きっかけありがとうございます。
※一昨日、焙煎日から六日目になるアロマショコラさんが、上品なミントのような、カシスのようなフレーバーをかすかに醸していましたヨ。しかもエグ味はなく。
鈴木大拙師がいうように、ある年齢にならないと見えないもの、わからないものってありますよね。ぼくも年を取ったせいか、最近そのことをひしひしと実感してます。見えないもの、わからないことを望み、信じる。それが希望なんだと。珈琲と本。それは非日常への入り口。でも、そこからその世界に入っていける人は少ない。注意深く目を瞠り、耳を澄まして静かに世界を見回す。それまで見えなかったものが、かすかに見えてくる。珈琲と本が、その手掛かりになるんじゃないかな