リブート

ぼくはニンジンが嫌いだ。でも、年に数回、ニンジンが無性に食べたくなる。レバーもそうだ。特に好きでもないのに、あのガス臭い味が切に恋しくなることがある。映画や本にもそういう傾向がある。映画や本が好きなんですね、と、よく人に言われるのだけど、ぼくは映画はあまり見ないし、本もほとんど読まない。ただ、ニンジンと同じで、ある一定の期間が経ったころ、無性に本が読みたくなり、また映画が見たくなる。そしてその期間が過ぎると、本も映画も見ない。ぼくにとって映画や本は娯楽ではない。強いて近いイメージを挙げるなら、Windowsのシステムツール、デフラグ。データの断片化を解消し、データの読み取りを速くする。映画や本、つまり外部の物語は、ぼくの中で断片化されて見えにくくなったエピソードや言葉をうまくつなぎ合わせて、自分で読み取れる物語に再構築してくれる、あるいは、その手助けをしてくれる。これは以前このブログで取り上げたオープンダイアローグの手法とよく似ている。数日前、図書館から本を借りた。村上春樹の短編集を2冊とコロンビアの作家が書いた百年の孤独。村上春樹が外せないのは、彼の物語が、どういうわけか、断片化の解消と物語の再構築に卓効をあらわすから。例えば、今回借りた本の主人公がこんなことを言う。

「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ。それが僕のルールです」
 村上春樹「東京奇譚集」偶然の旅人

十分にわかってはいても、行動につながる言葉になって出てこなかったぼくの考えが、また、そのせいで前に進まなくなっていたぼくの物語が、この代弁者の言葉によって再び動き始める