ウルマンの「青春」を初めて読んだのは20代半ばだったと思う。この詩をぼくに教えてくれた方は、この詩を大層お気に入りの様子だったけど、ぼくは一読してこの詩が嫌いになった。上から目線の押し付けがましさを感じたこともあるが、ぼくの知っている青春はそんな崇高なものではなかった。おととい、わが春、青春についてちょっぴりつぶやいたけど、ぼくの青春は楽しくも辛いものだった。若者特有の鈍さと不必要に鋭敏な感受性、そして根拠のない自尊心。そのバランスが病的に悪くて、日々悩みに悩んで頭が変になりそうだった。あの日々は花火のごとく楽しかったが、もう結構。おなか一杯、二度とごめんだ。今は春。地球の北半分は青い春、青春を迎えている。春。それは冬を経て生まれる。冬は死の季節だ。冷たく暗い死のあとにやってくるもの、それが春。大地は一度死んで春を迎える。彼は過去を思い出すことをしない。だから地上の春は、そのつど初心で新しい。ところで、今日久しぶりにウルマンの「青春」を読んだ。いい詩だと思う。でも、「青春」という題は、やはり違和感があった。原題の「YOUTH」のままでいいと思うのだけど
新井満さんの自由訳による「YOUTH」が読みやすかったので、以下に記しておきます
青春とは
サムエル・ウルマン 原詩
新井満 自由訳
青春とは 真の 青春とは
若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体
そういうものは たいした問題ではない
問題にすべきは つよい意思
ゆたかな想像力 もえあがる情熱
そういうものが あるか ないか
こんこんと湧きでる 泉のように
あなたの精神は
今日も新鮮だろうか
いきいきしているだろうか
臆病な精神のなかに
青春は ない
大いなる愛のために発揮される
勇気と冒険心のなかにこそ
青春は ある
臆病な二十歳がいる 既にして 老人
勇気ある六十歳がいる
青春のまっただなか
歳を重ねただけで 人は老いない
夢を失ったとき はじめて老いる
歳月は 皮膚にしわを刻むが
情熱を失ったとき 精神は
しわだらけになる
苦悩 恐怖 自己嫌悪
それらは 精神をしぼませ
ごみくずに変えてしまう
誰にとっても大切なもの
それは 感動する心
次は何が起こるのだろうと
眼を輝かせる 子供のような好奇心
胸をときめかせ 未知の人生に
挑戦する 喜び
さあ 眼をとじて
想いうかべてみよう
あなたの心のなかにある
無線基地
青空高くそびえ立つ たくさんの
光輝くアンテナ
アンテナは 受信するだろう
偉大な人々からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ
世界がどんなに美しく
驚きにみちているか
生きることが
どんなに素晴らしいか
勇気と希望 ほほえみを忘れず
いのちのメッセージを
受信しつづけるかぎり
あなたはいつまでも 青年
だが もしもあなたの
心のアンテナが 倒れ
雪のように冷たい皮肉と
氷のように頑固な失望に
おおわれるならば
たとえ二十歳であったとしても
あなたは立派な
老人
あなたの心のアンテナが
今日も青空高くそびえ立ち
いのちのメッセージを
受信しつづけるかぎり
たとえ八十歳であったとしても
あなたはつねに 青春
青春とは 真の 青春とは
若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある