道に迷うのが得意なのです

昨日あんなに晴れていたのに、休日の今日は雨。天気が悪いと、ほんとにがっかりする。今日は雨の中、ある年上の男性とドライブをすることになった。療護施設で長年生活している知人に会いに行ったのだけど、方向音痴のぼくがナビのない車を運転し、人里離れた山中を走っていくと…思った通り、道に迷ってUターン。その年上の方とは、店のカウンターでコーヒーを飲みながら、映画やオーディオ、写真のことなどを時間を忘れて話をする間柄。楽しいひと時を共有できる数少ない知人の一人。でも、人の幸せとは何か、といった人生的な話題になると話はまるで噛み合わなくなる。物事を見る角度の違いだけでは説明できない、大きな溝がそこにある。二人で療護施設の知人に会いに行くことになったのも、その溝に小さくとも橋のようなものを架けることができやしないか、と、ぼくが提案したからだった。車は迷いつつも、目的地に向かっていた。助手席の彼もいっしょになって探す。「そこの交差点を右ではないか」と彼は言う。ぼくはハンドルを右に切る。二人が求めているものが同じだったら、いつか同じ場所にたどり着けるはず。療護施設での三人の会話は、おのずと深いものになった。意見が鋭く対立するようなことがなかったのは、それぞれ虚心坦懐に相手の意見に耳を傾けたからだと思う。橋が架かったかどうかは、今の時点ではわからない。施設からの帰り道、彼が話された、ツルゲーネフの小説の話が興味深かった。その話に込められたテーマがまさに、その懸け橋のように思えたのだったが。

家に帰り、ヨッパライ某をさそって遅い昼食に出かけた。山の向こうのソバ屋で、ヨッパライ某はソバを、ぼくはうどんを注文した。いつも思うのだけど、ここの味付けは濃すぎる。帰りに海に寄った。冷たい雨が降り、風もあった。傘を飛ばされないようにしながら写真を撮った