バードマンその2

151116_08 何日か前、前から読みたいと思っていた本が図書館に入っているのを知り、それを予約した。この夏に出版されたもので、以来、図書館の蔵書検索でずっと検索し続けていたのだけど、なかなか入ってこなくて、ほとんどあきらめていたのだった。ちなみに斎藤環という精神科医の「オープンダイアローグとは何か」という本。すでに誰かが借りていて、少し待たねばならなかった。たった一冊借りるのも無駄な気がして、ついでにレイモンド・カーヴァーの作品を4冊予約した。昨日、近くの公民館に予約した本を取りに行ったのだけど、残念ながら肝心のオープンダイアローグは準備できてなかった。レイモンド・カーヴァーを読んでみたいと思ったのは、以前見た映画、バードマンの冒頭に出てきたレイモンド・カーヴァーの詩、

たとえそれでもきみはやっぱり思うのかな、この人生における望みは果たしたと?
果たしたとも。
それで、君はいったい何を望んだのだろう。
それは、自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって愛されるものと感じること。

に興味を持ったから。この「自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって愛されるものと感じること」がいかに大事なことであるかを、ぼくは最近、やっと気づいた。目からうろこが落ちる思いだった。レイチェルカーソンの言葉に「知ることは感じることの半分も重要ではない」というのがあるけれど、自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって愛されるものと感じること、は、ぼくの場合、一度死んでみないと分からないくらい難しいことだった