夢のまた夢

昼過ぎ、某国営放送でタルコフスキーのサクリファイスをやってたので、録画して見た。ぼく的にはツボであったが、いっしょに見てたヨッパライ某は、つまらん、と言って、すぐに席を立った。たぶん、そのつまらなさが、ぼくにはたまらなく心地良いのだと思う。ちょっと前、他人の夢の中に忍び込んでいく映画があったが、そこでは、夢の中で見ている夢に潜入する様子が描かれていた。さて、ぼくたちのいるこの世界は果たして現実だろうか。夢じゃないのか。数年前になくなった動物行動学者の日高敏隆さんは、すべてはイリュージョンである、と言い切っていた。イリュージョンなしに世界は見えないのだと。ユクスキュルの環世界を知っている方ならうなずけるはなしだ。となると、ぼくたちは、夢の中で夢を見ているようなもの、といえるかもしれない。サクリファイスは現実と幻想をあえて分けてないようにみえる。すべて現実のようで、現実の中の夢のようで、すべて夢のようである。だからそこではベッドが宙に浮いても違和感がない。幻想、幻影とぼくたちの信じている日常的現実にどれくらい違いがあるのだろう。映画の最後で、それまで声が出なかった子供がこういう。「初めにことばありき。なぜなのパパ?」つまり、作者はこう言いたかったのだと思う。われわれは幻想の中で生きている。言葉だけが現実なのだよ、と。ちなみに精神科医、斉藤環さんは「幻想の対義語は言語です」と言っている。
 私たちは影でないものなど愛せるだろうか(ヘルダーリン)

“夢のまた夢” への2件の返信

  1. こんにちは。「タルコフスキー」が登場しましたね。恭子さんに賛成!夫は
    タルコフスキーが大好きですが、私には「君にはつまらい映画だと思うから・・」と言われました。(笑)そう!女は現実的なのかも。そんな夫は昨日は、マーラーの九響コンサートへ一人ででかけてゆきました。そして、来月福岡日航ホテルのチャペルであるマニアックコンサート?「第九「歓喜の歌」とカンタータの夕べ」に行かない?」と誘われましたが、私は、「せっかくだから、何か美味しいもの食べてから聴きたいな」と言っております。そう!女子はおいしいものを食べることが音楽を聴くより好きなのかもしれませんよね。(笑) 追伸:「クリスマスは、神の誕生を祝う歌を
    聴くべきだよね・・」と夫は言っておりました。。私「ふ~~ん」といって、いそいそBSの久保田利信のR&Bを聞き入っていました(笑)

  2. こんばんは、お元気そうで何より(笑)
    それにしても、わが家とmomo家は悲しいくらい似てますね。
    この前まではmomoさんに同情的だったぼくですが、これを読んだ今、ご主人が少しかわいそうに見えてきました(笑)
    ご主人がmomoさんに理解して欲しいと願っているのが伝わってきて、なんだか切ないかも。マニアックコンサート、楽しんでらしてください。(食べてばかりいないでねー)

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