嘘つき! と彼女は言った。

ぼくは悔しい。なぜなら昨日、ぼくはひとつも嘘をつかなかった。
ところで、嘘といえば村上春樹のイスラエル文学賞受賞演説を思い出す。いわく、隠れている真実を嘘の上におびき出すのだ。
そして、村上春樹といえば某作品の次の場面。
「ねえ、私を愛してる?」
「もちろん」
「結婚したい?」
「今、すぐに?」
「いつか・・・・・・もっと先によ」
「もちろん結婚したい」
「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ」
「言い忘れてたんだ」
「・・・・・・子供は何人欲しい?」
「3人」
「男? 女?」
「女が2人に男が1人」
彼女はコーヒーで口の中のパンを嚥み下してからじっと僕の顔を見た。
「嘘つき!」
と彼女は言った。
しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。

“嘘つき! と彼女は言った。” への6件の返信

  1. お久しぶりです。
    なかなか面白い会話ですね。
    このような記事を読むと一言書きたくなりますねぇ~..A=´、`=)ゞ
    私なりにこの嘘を考えてみると・・・
    「・・・・・・子供は何人欲しい?」という所を
    「・・・・・子供は何人居るの?」と書き換えると面白いかもしれませんね(笑)。
    それでは・・・。

  2. あは、あは、あは、は…
    力作ですが
    いまひとつ笑えませんね。座布団没収です。

  3. こんばんはJ^o^L
    『 僕は時折嘘をつく。
     最後についたのは去年のことだ。
     嘘をつくのはひどく嫌なことだ。
     嘘と沈黙は現代の人間社会にはびこる二つの
     巨大な罪と言ってもよい。
     実際僕たちはよく嘘をつき、しょっちゅう黙り込んで しまう。
     しかし、もし僕たちが年中しゃべり続け、それも真 実しか
     しゃべらないとしたら、
     真実の価値など失くなってしまうのかもしれない 』  (^o^ゞ)
     ハートフィールドの「火星の井戸」(イド)の部分、深い意味を問われた感じがします♪
    追伸
    「ノルウェーの森」がベストセラーだった頃ホンの一端をかじっただけの作家で、その頃は余り好みではなかったのですが、最近は難解ながらも伝わってきかたが違ってきていますJ^o^L

  4. 村上春樹はこの作品のはじめのほうで、ハートフィールドという架空の作家にこんなことを言わせてます。「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ」
    ぼくは、こんなふうに思います。
    真実はひとつ。
    嘘はそれを分けること。
    当然、一つのものは分けることができないので分からない。
    分かる、というのは、分けることだから。
    分けると嘘になる。
    分かるということは、嘘をつくこと。
    分けると、その間に距離が生ずる。
    ぼくはその距離を確認しながら生きる。
    ちなみに、ぼくは低空飛行が好きです。
    ぼくにとって生きる実感は、その距離と深いかかわりがある。
    村上春樹は勘のいい井戸掘り職人のように思われているけど、ぼくの目には、真実と嘘の距離を計りながら低空飛行を続ける職業パイロットのように見えます。

  5. その人の真実はひとつで、
    分かるということは、分けることで、
    分けることは、その人の真実からは距離を生じるが、嘘ではない気がします。
    ここでは、その人の真実が、分けることの出来ない真の真実であるかが問題になると思いました。

  6. たとえば、真実の自分を自分で分かることができるだろうか。
    分かることはできなくても感じることはできるかもしれない。
    うまくいえないけど、そんなことを時々考えています。

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