目覚めると朝だった。ヤバイ夢を見てたせいか、脳はすでに覚醒していた。目覚めた脳はさっそく、アフォーダンス理論について考え始めた。数日前にお客様からお借りしたシャロン・モアレム ,ジョナサン・プリンス著「迷惑な進化」という本が、ぼくをアフォーダンス理論にアフォードしているのだ。ちなみに、アフォーダンスとはアホのダンスではない。ぼくはアフォーダンス理論の研究のため、南へ走ることにした。天気もいいしね。
風は目に見えない。見えたら困る。かも
お化けのポストに見えるんだけど。
昨日、店の駐車場にいたメンタマが、もうこんなところに。
イシガキチョウ。愛想が悪く、逃げてばかりいた。
ソバカツ定食。1,050yen
デザート、ソフトクリーム。250yen(高いやんけ)
“ソバカツ定食のソバはぼくには甘かった” への7件の返信
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こんにちは。
「風」は目には見えないけど、色んな「匂い・香り」を運んで来てくれる・・・。
もしかしたら「ソバカツ定食」も匂いにつられたのかな?(笑)。
それでは・・・。
干し椎茸のだしつゆを見て、あまったるい味を思い出しました。
天気、いまいちみたいですね。
☆9時から男さん、昨日は、お昼前に川辺町、磨崖仏公園に到着したのですが、あちこちでバーベキューをしているグループがあり、風にのって、いい匂いが運ばれてきました。そのあと、近くの道の駅でソバカツ定食を食べたのですが、ソバだけ食べるつもりでいたのに、カツも欲しくなったのは、バーベキューの匂いを嗅いだせいだったのかもしれません。
☆じとさん、そういえばじとさんは、ウドン通でしたね。ここのソバは、更級のように白くはなく、椎茸よりは、カツオなど、動物系アミノ酸によるコクのほうがフィットするような気がしました。天気は、お昼ごろは曇っていて、冬のような空だったのですが、3時ごろから青空が広がりました。
『じんめんかめむし』お気に召していただきましたようで、とても嬉しいです☆
おソバやうどん・ラーメンパスタにあまりこだわりのない半端ものの私ですが…。おソバについては、出汁はサバ節!そして、麺はつなぎなしのブツブツッと切れるもの(ばあちゃん家のおソバレシピ)が定番だと思っている愛太でした。
なので、その他に美味しいレシピありましたら、ぜひぜひ教えてくださいませ。
でも、道の駅のおソバは美味しいですよね◎実家の母が、よく購入しております。
カメムシ自体は大キライな生物グループの上位に入賞しているのですが、じんめんに関しては、あのひょうきんな表情と愛太さんのカオに免じて許してあげようかな、と思います。
ソバの出汁はサバ節に限る、なんですか。ナルホドー。
ぼくは、夏はサンバ、ボサノバに限るカモ、ですが、これはぜんぜん関係なさそうですね。ぼくはソバはざるが好きです。ソバのレシピでしたら、ソバズイ、というのが大好きでした。ソバダンゴをニンニクの芽みたいなのと一緒に煮込むのです。唯一、時々作ってくれていたおばさんが他界したので、長いこと食ってませんけど。
いつも楽しませていただいています。
風
向かい風の時に阻んでいる正体、追い風の時の存在が見える感じがします。
「千の風」は見えませんが・・・
蝶
美しく撮られますね。「ちょっとじっとしててね」のおまじないでも?
<タテハモドキというチョウ>感動♪
進化論
キリスト教の多くの教派が進化論を否定していますね。何故でしょう?
OTOさん、こんにちは、お久しぶりです。
ずいぶん、夜遅くまで起きてらっしゃいますね~
秋だからでしょうか。ぼくもそうですけど(笑)
>風
ぼくと風は、珍しく、気持ちの通じる仲なんです。
風が止まっているとき、ぼくが歩けば、風も吹き始めるから。
きっと風は、ぼくのことを風と思ってるんでしょう。
>蝶
ホントはすごいんですよ、蝶は。でも、それをいばるのはナンセンスだってコトを蝶はあたりまえのこととして知っている。蝶のそういうところが好きなんです、ぼくは。
>進化論
>キリスト教の多くの教派が進化論を否定していますね。何故でしょう?
ぼくの答え→進化論は否定するでしょうね、でも、進化自体を否定することはないと思います。なぜなら、進化、淘汰が現に起きているとすれば、それは偶然じゃないでしょうから。それを促す何かがある。つまり、進化、淘汰ってのは、サイコロの目のある特定の数字を出やすくしてるわけでしょ?何者かが、意図的にイカサマをしてるわけです。そうじゃないと、熱力学の法則が成り立たない。矛盾が生ずる。科学は、世界、つまり、秩序を調べる学問だと思うのですが、科学的に「進化」を研究するなら、もし神が存在すれば、いずれ、消去法的に「神」が現われる(世界をつくったものの存在を否定できなくなる)ことになると思います。今の時点では、創造神の有無を判断するには、まだまだ、ぜんぜん知識が足りない、ということです。本文に書いた「迷惑な進化」という著書は遺伝子について書かれた科学書ですが、「生命について、現時点ではなにも分かっていないに等しい状態」といったことを著者は言ってます。調べれば調べるほど新しい謎が次々に現われる、のだそうです。科学は宗教に敵対しません。科学的態度、それは魂の本性というべきもの、真理を愛そうとする気持ちが動機になっています。世間で一般に言われている「進化論」は間抜けな感じがします。そして、その中で論じられる「進化」も。今の進化論は創造論に対峙する立場にあるように成り立ってないでしょうか。でも、もし、神が世を創ったとするなら、ヒトが神の存在を調べようとするのに用いる、その頼りの綱である科学も、当然、神の内から出たもの、ということになります。もっとたくさんの知識を得てから論じ、判断に持っていくべきでしょう。実際、あのダーウィンも、目の構造があまりに精緻でスバラシイ出来なので、進化の概念を適応できなかったはず。
な~んちゃって。