夜中の十二時に

昨夜の十二時のことだけど、ともだちが自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようか、ってぼくに言うわけよ。やれやれ。
あなただったら、どうする?
これ、きのう映画に行ったついでに買ってきた、河合隼雄著「大人の友情」に書いてあったのを、ちょっといじったもの。
「友人」と一口に言っても、いろんな友人がいると思う。では、いわゆる「ほんとうの友人」って、どんな人?
河合隼雄は、あるユング派の学者が、その祖父に「友情」について尋ねた時のエピソードを引用して答えている。祖父いわく「夜中の12時に、自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って相談にのってくれる人だ」
これを読んで、ぼくはさっそく、友人が夜中に死体を持ってきた情景を思い浮かべてみた。

“夜中の十二時に” への2件の返信

  1. 奇遇な事に、昨日か一昨日、同じような事を考えていました。
    「稲盛和夫の哲学」という本には、以下のように書かれてあります。
    >、、、「もし親友が何かの拍子に人をあやめ、『いま人を殺してきた。助けてくれ』といって、弱り果てて自分のところに逃げてきたら、君はどうするか」という問いかけも鮮明に覚えています。
    旧制中学の一年生ですから理屈はわかっているつもりでしたので、「友だちの非を諭し、自首するように勧める」とみんなが答えました。すると、それはだめだと先生は却下しました。「そうして友人が頼って来たなら、自分が罪に落ちてもいいからかばってやるのが親友だ」とおっしゃったのです。
    現代では通用しない考え方かもしれません。しかし、それが人間としての義と情の道だということを教える先生でした。まさに西郷隆盛の生き方そのものを教えておられたように思えます。
    僕は、これを読んだ時に、深い感銘を受けました。友情とは、かくあるべきものなのか、と鮮烈に残っています。

  2. 友情って、何なんでしょうね。かずさんが挙げられた稲盛さんの話では、ひとつの美学として「友情」を取り上げているようにみえます。人の学ぶべき道理として。河合隼雄の「大人の友情」って本、まだ読み始めたばかりなのですが、どうやら河合さんは深層心理学の立場から「友情」という現象?を書いているようで、たとえば「夜中の12時に…」では、そのような現実を一瞬にして共有できるのが友人だ、ということを言っているようにみえます。そこでぼくは、ぼくのまわりの友達を一人ずつこの「夜中の12時に…」というドラマに登場させ、その時ぼくがどういう反応を示すかシュミレーションしてみました。ぼくの場合、黙ってその状況を自分のことのように受け入れることのできた友人は、3人でした。

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