大人になれば、だれだって苦い思い出の一つや二つはある。
それが大人というものだ。
大人になれば苦さに強くはなるだろう。
だが、苦さに鈍くなったらオシマイだ。
心を鎧ってはいけない。
苦いものは、いつだって苦くなくてはいけない。
だれかが言った。
やさしいだけでは生きていけない。でも、
やさしくなければ、生きている価値がない。
ぼくにも苦い思い出がある。
それは、ある暑い日の午後だった。
ぼくは喫茶店の隅の席に座り、アイスコーヒーを頼んだ。
冷たい琥珀の液が喉を伝ったとき、ぼくは目を瞠った。
その苦味は「輝ける闇」とでも呼びたくなる、高く深いものだった。
今日、その苦味を再現するべく、ぼくはアイスコーヒーを作った。
しかし、何かが足りない。
だが、完成は近い。と思う。
完成したら、
スーパーギャラクティカマグナム Z アイス。
という名前にしようかな~と思っている。
“苦い記憶” への6件の返信
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そうですね~。僕は、伯母さんに、「心の視線をそらす事」を教わりました。「気にしない事」というか。でも、スプーンさんのおっしゃる通り、「心を鎧ってはいけない」んですよね。勉強になります。ところで、「やさしいだけでは生きていけない。でも、やさしくなければ、生きている価値がない。」という言葉は、僕も、聞いたことがあるんですが、誰の言葉でしたでしょうか。
こんにちは。
「やさしさ」は、時として「苦しみ」を生む事があるけど、また時として「やさしさ」に助けられる事もあるのですよねぇ~[E:think]。
「やさしさ」は人によっては相手をダメにしてしまう事もありますしねぇ~[E:think]。
でも、自分の心に素直に従ったら、きっと後悔する事は少なくなると9時から男は思うのですけどねぇ~[E:think]。
むずかしいですね・・・[E:think]。
強く無ければ、やさしく無れないと言うことは良く耳にする言葉ですね。
全くその通りだと思います。私は吠えまくっています。弱い犬ほど吠える状態です。
今の私はそう状態で吠えまくって強がっています。
しかし、どうしても吠えて強がって生きています。無念。
☆かずさん、心を鎧っている間、人生は停止していると見ていいんじゃないかとぼくは思います。車で言えば、ガレージでアイドリングしてる状態。ギアを入れ、アクセルを踏むと車は走り出します。人が飛び出してくるかもしれないし、カーブを曲がりきれず、崖から落ちるかもしれない。でも、それが人生なんだと、覚悟を決めるしかない。不幸になるのも人生、ってわけです。ひどい話ですが。ところで、「やさしいだけでは生きていけない」は、レイモンド・チャンドラーの小説に出てくるフィリップ・マーロウという探偵の言葉をモジったものです。
☆9時から男さん、この言葉の原典では、やさしさ=gentleで、情けのある、穏やかな、寛大な、といった要素を含んでいるようです。人の優しさ…それは自分では気づかないことが多いのですが、見返りを期待していることが多いですよね。例えば、好意を持って欲しいことの表れだったり。だから、嫌いな人にはやさしくできない。嫌いな人に対しても、心からやさしくできるなら、そのやさしさはホンモノなのかもしれないですね。
☆tom jerryさん、その場合の、強くなければ、とは、自分に対して強くなることを言うのだと思います。毎日毎晩、ぼく自身、自分に手を焼いてます。自分は手ごわいですよ。ほっとけばすぐに眠りたがるし、楽をしようとする。例えば、苦しんでいる人や困っている人がいたら、助けなきゃ、と、頭では思う。ポケットに自由に使えるお金があれば、まずは、困っている人のために使わなくては、と、頭では思う。でも、結局、自分のために使ってしまう。頭で考え、正しいと思ったことを行動に移す自分こそが本当の自分なのに、それができない。ぼくって、なんて不自由な人間なんだ、と思う。自由になるためには(頭で考えたとおりに動くためには)自分に対して圧倒的に強くならなくてはダメなんですね。そうすれば、人にやさしくなれます。
再び、こんにちは。
スプーンさんのコメントを読んで思ったのですが。
「やさしさ」は「幼き恋」に似ているところがあるのではないでしょうかねぇ~?。
「幼き恋」を、別名「幻影」いう言葉で表すと「やさしさ」もまた「幻影」なのかもしれませんね。
だから「幼き恋」と同じで「やさしくされる方」か「やさしくする方」どちらかが強くないと、お互いにダメになってしまうのかもしれませんね。
(なんか久しぶりにまじめなコメント・・・9時から男は、難しいネタから下ネタまで幅広く、スプーンさんのブログ記事をお待ちしています(笑))
それでは・・・。
世界をどう認識するか、ということなんでしょうね。幼き恋も、やさしさも、そして、9時から男さんがおっしゃる、お互いにダメになってしまった、と見える状態も、すべて幻影と見ることができそうです。この問題に関連して、上のスレッドにも、ちょこっと書きましたが、動物学者の日高敏隆さんが興味深いことを言ってます。真の客観とは、といった話です。ネットで調べたら、うまくまとまった記事がありましたので、よかったら見てみてください。
http://www.jukushin.com/article.cgi?h-20040711