オープンダイアローグ その2

仕事を終え、家に帰り着いてドアを開け、「ただいま~」と言いつつヨッパライ某の顔を見て思わず息を呑み、後ずさった。目の前に立っていたのは「お岩さん」だったのだ。庭で草取りをしていて右目の近くを虫に刺されたという。どうすればいいかわからなかったので、ご主人が医者をやってる友人に顔の写真をラインで送ったそうだ。返事は「ほんとに虫なの?」。DVと思われたようだ。

熱帯雨林に注文した本が届いた。10年くらい前に読んだ斎藤 環 著「オープンダイアローグとは何か」は、ちょっとしたパラダイムシフト気分を味わわせてくれたステキな本だった。その著者が、どうしても納得できないオープンダイアローグの謎について、ついに自ら立ち向かう、という内容の本らしい。ウフ

以下、本文より

目下の私の悩みは、もはやオープンダイアローグの実践と普及の難しさ、ではありません。自分でやっていながら、いまだによくわからないことがあるのです。つまり、「なぜ対話ごときで、精神病が治るのか」という根本的な疑問です。たしかに私たちは、複数の患者とともに、着実に回復の道を歩んでいます。オープンダイアローグがあれば、それができる。この点についての確信は揺るぎないものです。しかし「なぜか」がわからない。なぜ対話するだけで、これほどの変化が生ずるのだろう。なぜこんな「ふつうのこと」で、回復が起きてしまうのだろう。これはあえていえば、哲学的な疑間です。対話とは何か、人が変わるとはどういうことか、そして「回復」にはいったい、どんな意味があるのか。私のこうした疑問に対しては、ヤーコ・セイックラの著書やミハイル・バフチンの著作に、ある程度まではヒントや答えが記されています。しかし実際のところ、私はそれらの答えにまだ十分には納得していません。ここから先は、どうやら自分で考えていくしかなさそうです。そういうわけで私は、本書でオープングイアローグの「思想」を、可能な限り掘り下げてみようと思い至ったのです。