先日買った本を読んでたら、
「再読に価しない本は、最初から読まない方が時間も人生も有効に使える」なんて書いてあった。また、
「まことに奇妙なことだが、ひとは書物を『読む』ことはできない、ただ再読することができるだけだ。良き読者、一流の読者、積極的で創造的な読者は再読者なのである」
ウラジミール・ナボコフ ヨーロッパ文学講義
とか、ややこしい言葉も引いてあった。
なんだかピンとこなくて、しばし本を伏せて珈琲を点てることにした。ちなみに少し頭が痛かったのでマンデリン。
「ひとは書物を『読む』ことはできない、ただ再読することができるだけ・・・」
どういうことだろう。どうやらナボコフのいう「読む」はぼくの知っている「読む」とは別のことらしい。再読についていうなら、ぼくは再読ばかりしていて、繰り返し読む本は手の届く範囲に積み上げてある。
熱いマンデリンを飲んだら頭痛が取れて気分が良くなった。オマケに、それら再読している本に共通する特徴に気づいて、ナボコフの言う「読む」の意味が分かった気がした。
論理的に理解することは難しいけど、
感情的に腑に落ちるところがあるかも。
久しぶりにお店へ伺えました。
美味しい珈琲をありがとうございます。
また伺います。
昨日はありがとうございました。
年齢が近い人が来ると、ついおしゃべりになってしまいます(笑)
コーヒーカップ、ありがとうございました。
お帰りになった後、
「コーヒー豆代までもらっちゃって、タダにすれば良かった」
と、自己嫌悪に陥りました(本当)
また遊びにいらしてください、お待ちしてます(^^)/