時をかける微熱少年

何かの用事で数分間、店を留守にするとき、カウンターに「すぐに戾ります」という張り紙をして外に出る。「戻る」ではなく、わざわざ「戾る」と書くのには訳があって、学生の頃に読んだ誰かの随筆のせい。以来、ぼくは「戻る」と書くことができなくなってしまった。その随筆に「戻る」はおかしい、と書いてあったから。「戾る」という字を書くたびにそれを思い出すのだけど、誰の随筆だったか思い出せずにいた。ところが、たまたま数日前に読み始めた吉行淳之介の「樹に千びきの毛蟲」というエッセイ集にそれを見つけ、俄然、微熱少年だったあの頃にタイムスリップしてしまった。
以下「樹に千びきの毛蟲」より抜粋


何年か前に、「戾る」が「戻る」になったのはけしからん、と書いたことがある。字劃を一つ減らすことによって、文字を覚え易くしようという考え方はアサハカである。犬という動物は遠くに置き去りにしても、家に戻ってくる。「戸」は「家」の意味で、そう考えて覚えた方が筋が通っているのではないか、と書いた。以来、私の原稿の「戻る」という文字を、わざわざ「戾る」としてくれている編集部もある。ところが右に述べた私の解釈は、間違いであることが、昨年分かった。「戾る」は正しくは「モトル」と読むので、一番元の意味は「裏切る」なのだそうである。犬が帰ってくるのではなく、飼犬が「戸」の下から這い出してゆく形だという。つまり、私の解釈とはまったく反対だった。以来、余計な解釈はしないようにしている。


筆者は「私の解釈は、間違いであることが、昨年分かった」と言っていますが、これを読む限り「戸」の下にあるべき文字が「犬」であることは間違いなさそうです。

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