浜辺のように

ある本を読んでたら、次のようなくだりに出くわし、ため息が出た。やれやれ、まったくその通り、この年になってやっと気づくなんて

頭に起きたこうした無意識の波が、意識の白い、滑らかな砂の上に偶然にどんな宝を、どんなに見事に磨きあげられた小石を、或いは海の底にあるどんな珍しい貝を投げ出すか解らない。ほら貝、つめた貝、或いはたこぶねさえもが打ち上げられるかもしれない。しかし、それをこっちから探そうとしてはならないし、ましてそれが欲しさに砂を掘り返したりすることは許されない。海の底を網で漁るようなことをするのはここでは禁物で、そういうやり方で目的を達することはできない。海はもの欲しげなものや、欲張りや、焦っているものには何も与えなくて、地面を掘りくり返して宝ものを探すというのはせっかちであり、欲張りであるのみならず、信仰がないことを示す。忍耐が第一であることを海は我々に教える。忍耐と信仰である。我々は海からの贈り物を待ちながら、浜辺も同様に空虚なってそこに横たわっていなければならない。

アン・モロウ・リンドバーグ(著) 海からの贈物 より抜粋