朝から雨が降っていた。春の雨。ちなみに晩飯のおかずは春雨だった 仕事の合間に、お借りした本を読んだ。読む本にもよるけれど、やはり読書は大事だな、と思った次第。以下、本文より
「ユマニチュード」という言葉は、フランス領マルティニーク島出身の詩人であり政治家であったエメ・セゼールが1940年代に提唱した、植民地に住む黒人が自らの“黒人らしさ”を取り戻そうと開始した活動「ネグリチュード(Negritude)」にその起源をもちます。その後1980年にスイス人作家のフレディ・クロプフェンシュタインが思索に関するエッセイと詩の中で、“人間らしくある”状況を、「ネグリチュード」を踏まえて「ユマニチュード」と命名しました。 さまざまな機能が低下して他者に依存しなければならない状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて“人間らしい”存在であり続けることを支えるために、ケアを行う人々がケアの対象者に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信する… つまりその人の“人間らしさ”を尊重し続ける状況こそがユマニチュードの状態であると、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティは1995年に定義づけました。 これが哲学としてのユマニチュードの誕生です。
ユマニチュードを紹介したテレビ番組。劇的な展開に思わず目を瞠ります
確かに素晴らしい!!
今、県議選に立候補している人のお手伝いをしていますが、是非この動画を見てもらいたいと思います。何故なら、人と会って目を合わせ、その人に触れ(握手)相手を認めることで、相手を取り込める。くそうるさい宣伝カーでがなり立て、通り一遍の演説より、よほど効果があると思われます。しかし、新人にはその時間は無いですね、選挙戦は一週間ですから。
それにしても、ケアする人の人数、どれくらい金が掛かるのでしょうか?恵まれた人にしか受けられないケアのようです。貧乏人は訳も分からず孤独死...ということ?
ま、このことは別の問題ですね。
ぼくはこの動画を見て、ジャックニコルソン主演の映画、「カッコーの巣の上で」を思い出しました。だれもがこの新しい哲学によるケアを受けることができるようになればいいのに、と思いましたが…どうでしょう。ぼくは動画の後半にあった、手足を拘束されるようなことだけは絶対ご免です、ほんと
動画見ました。
最後のほうに、お父さんが立とうとするのを息子さんが補助する場面がありましたが、その手の動きに愛情が溢れていて涙しました。
ぼくはこれを見て、人と人は、その魂の深い部分でこそつながることができるんだな、と今更ながら感じました。忘れかけていた大事な何かを思い出させてくれるビデオでした。
動画みました。
ジネストさんに接した人たちが、本来の魂の輝きを取り戻していく様子に 涙がでました。
入院時、拘束に関する家族の同意は 病院側から求められ、そして求められたら いろんな安全の為を思うと家族としても拒否ができません。
これから 日本でも このユマニチュードをどんどん広めて、拘束なんてありえない、という世界にしていかないといけないなと思いました。
お世話をする人 される人の間に 温かい気持ちの交流が生まれれば、こんなに素晴らしいことはありません。これから目指すべき社会のよいお手本を見せていただきました。
とてもよいものを紹介してくださって ありがとうございます。
ビデオをみて分かるように、ユマニチュードは、さほど特殊な技能ではないようですね。「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信する具体的な技術のようです。ぼくだって、(特に、愛する人)には「あなたは大切な人」と思ってもらいたいし、そう思ってくれていることに気づけたなら安心して心を開くこともできそう。これは、寓話、「北風と太陽」といっしょですね。少し前、このブログでアドラー心理学を取り上げたのですが、アドラーの言う「共同体感覚」を社会が会得すれば、このような問題も比較的簡単に解決できそうな気がします。