村上春樹さんの、女のいない男たち、を読み終わってふと思った。自分の影を意識したのはいつだっただろう、と。この短編集に出てくる女性たちは、相手の女性に映し出された、主人公自身の中に棲む永遠の女性たちだ。物語はそれを強調するように描かれている。男に生まれた春樹さんがたぶんそうであるように、同族のぼくも、女性の、つかみようのない、あの人間離れした実体のなさに頭を悩ませている。つかみようがなくて当然なのだ。彼女たちは自分の中にある幻なのだから。(ユングの意見に従うなら)男たちは早めに作戦を変更する必要があるのだと思う。